9 子罕第九 12
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☆ 子罕第九 十二章
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子疾病 子路使門人爲臣 病閒曰 久矣哉 由之行詐也 無臣而爲有臣 吾誰欺 欺天乎 且予與其死於臣之手也 無寧死於二三子之手乎 且予縦不得大葬 予死於道路乎
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子(し)の疾(やまひ)病(へい)なり。子路(しろ)、門人(もんじん)をして臣(しん)たらしむ。病(やまひ)閒(かん)なるとき曰(いは)く、久(ひさ)しいかな、由(いう)の詐(いつはり)を行(おこな)へるや。臣無(な)くして臣有(あ)りと為(な)す。吾(われ)誰(たれ)をか欺(あざむ)かん。天(てん)を欺かんか。且(か)つ予(われ)其(そ)の臣の手(て)に死(し)なんよりは、無寧(むしろ)二三子(にさんし)の手に死なんか。且(か)つ予(われ)縦(たと)ひ大葬(たいさう)を得(え)ずとも、予道路(だうろ)に死なんや。
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☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)
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先生の病が重くなって、もう助からないかも知れない、という状態になったことがあります。子路は動転して、理性を失った頭で必死に考えました。
「今先生は無冠で流浪の身である。このまゝだと貧相な葬儀しか出せない。そんなことはこの偉大な先生にはあってはならぬことだ。・・・そうだ、先生は嘗(かつ)ては魯国の大司寇(だいしこう)という太夫(たいふ)であらせられたのだ。太夫であれば臣下がいて、盛大なお葬式が出せる。それが先生の本来じゃないか、何が悪い。」
浅はかにもそう考えた子路は、弟子達を臣下に仕立て上げて、先生に相応しい葬儀が出せるように万全の準備を整えていました。
その後(ご)暫(しばら)くして、先生の病状が恢復(かいふく)してきました。先生は子路の為(な)した愚行を聞いて「あゝ矢っ張りなあ」と苦笑しながら「困った奴だ。それでも一応はお説教をしておかねばなりませんねえ」と、子路を呼びつけて言いました。
「由(ゆう)ちゃんや、貴方は昔から、ちぃーっとも変わっていませんねえ。情に駆られると平気で噓をつく、という悪い癖が。私には臣下などいないのにいるように見せかけようとする。私に臣下がいないことなど、誰もが知っていることです。一体私は誰を騙せば良いのですか。天を騙すという大罪を犯せ、とでも言うのですか。それは不可能でしょう。
大体からして私は、職務上の繋がりでしかない臣下の手で葬られるよりかは、心の繋がった貴方たちの手でこそ葬って欲しいのですよ。
それからもう一つ言っておきますが、私は盛大な葬式など望んでいません。しかし如何(どん)な事態になったところで、私が道端で野垂れ死んで野晒(のざらし)になる、なんてことは絶対にあり得ません。何故なら私には貴方たちがいてくれるからです。それで充分ではないですか。私は幸せですよ。」
先生は子路の愛情に応えて一生懸命語りましたが、子路は神妙な顔つきで聴いている振りをしていましたが、その実、何も聞いていませんでした。何故なら子路にとっては、先生が元気になってきた、という事実だけで、あとは何もいらなかったからです。
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☆ 補足の独言
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・ この章の孔子のお説教を真剣なものととると、解釈は丸っ切り違ったものになってしまうでしょう。そうなると、孔子は丸っ切りの堅物で、心の機微(きび)など全く理解しない教条主義者ということになってしまいます。孔子は明らかに、このようなドジを繰り返す子路の愛情深さを、心から愛していました。こゝには理想的な師弟関係の、仄々(ほのぼの)とした情景が描(えが)かれているのです。
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・ 論語述而第七の三十四章にも同じような話が載っていますが、同じときのことなのか、孔子が危篤状態に陥ったことが二度あったのか、は判(わか)らないようです。