''&size(24){☆ 学而 第一 九章};''
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'' 曾子曰 愼終追遠 民徳歸厚矣''
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曽子(そうし)曰く。終(をはり)を愼(つつし)み遠(とほ)きを追へば、民(たみ)の徳(とく)厚(あつ)きに帰す。
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''☆意訳''
曽先生がいわれました。
君主や為政者や長(おさ)といった人達が、葬儀(そうぎ)を礼に叶(かな)って心を籠(こ)めて行い、自分達の祖先、先祖を確(しっか)りと敬(うやま)って、誠意を尽くして祭っていれば、民衆はそれに感化されて、目に見えない心や先祖の霊といったものを大切にするようになり、利己的な欲望が小さくなって、自然と善心が湧くようになり、国や全体がうまく治まるようになります。
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''☆心理屋の勝手解釈''
孝(こう)の人曽参(そうしん)らしい言葉です。親への孝は、親への感謝の気持ちです。親への孝は、そのまた親への孝へと繋がっていきます。それは今自分がこうして存在している、ということへの感謝の気持ちです。連綿(れんめん)と続く先祖への孝の繋(つな)がり。それは感謝の絆(きづな)と言えます。その感謝の念をもって、親の葬儀を行い、先祖や氏神のお祭りをする。学而第一の二章で述べられているように、孝こそが仁の本(もと)なのです。それは、孝が感謝の念から出てくるものだからです。
また、見えなくて感知もできない霊を敬(うやま)う、ということは、悪事や悪心を隠せない、見抜かれているのではないか、という不安を感じさせます。感謝の念で悪心が減っている上に、隠せないという不安で、悪心は一層小さくなり、善心が大きく成長し易(やす)くなるのです。