8 泰伯第八 17 のバックアップ(No.1)


☆ 泰伯第八 十七章

 

 子曰 學如不及 猶恐失之

 

 子(し)曰(いは)く、学(がく)は及(およ)ば不(ざ)るが如(ごと)し。猶(なほ)之(これ)を失(うしな)ふを恐(おそ)る。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が言われました。

 学ぶということは、終わりのない作業です。後(あと)どれだけ学ぶことができたならばそれで善い、ということはありません。学ぶ前は何も分からないので、学べば分かる、と思うものです。ところが、一つ学ぶと十(じゅう)の分からないことが出てきます。二つ学ぶと百の分からないことが出てくるのです。学べば学ぶほどに到着点は遠離(ざか)っていって、決して追いつけるものではないのです。その上、折角(せっかく)一生懸命に学んで身に着けたことも、一寸(ちょっと)気を抜いて学習を怠ると、直ぐに忘れてしまいます。これは恐る可きことです。というか、忘れることを恐れて学習に励(はげ)み続けるようでなければ、学ぶということはできません。

 

☆ 補足の独言

 このことは、釈迦も同じようなことを言っているようです。

 釈迦の最後の言葉、弟子達への遺言(ゆいごん)です。

 「自灯明(じとうみょう)、法灯明(ほうとうみょう)。諸行無常故に怠らず励めよ。(これまで確りと修行を積んできた、自分の感性と理性を拠(よりどころ)として、他人(たにん)や世間の言動に惑(まど)わされないように気を付けて下さい。自分が学び理解した真理を拠として、巷(ちまた)の言説に惑わされないように務めるのです。そして、この世界に常なるものは一切ない、ということを能く能く理解していて下さい。私ももう死にます。これからも心して、怠ることなく励み続けていって下さい)」