8 泰伯第八 18 のバックアップ(No.1)
☆ 泰伯第八 十八章
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子曰 巍巍乎 舜禹之有天下也 而不與焉
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子(し)曰(いは)く、巍巍乎(ぎぎこ)たり、舜(しゅん)禹(う)の天下(てんか)を有(たも)てるや。而(しか)も与(あづ)からず。
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☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)
先生が言われました。
舜(しゅん)は尭(ぎょう)の下(もと)で、禹(う)は舜の下で働いていたとに、それぞれその人柄と働きが認められ、天子の位を譲られました。堯や舜に認められるだけあって、彼等の天下の治め方は実に素晴らしいものでした。正(まさ)しく天空に高く聳(そび)え立つ連峰の如く広々伸々(のびのび)と舞い踊るような喜びに満ちたものでした。それだけではありません。彼等は配下の重臣達を実に能く観て理解し、彼等が皆十全に実力を発揮できるように配慮を怠りませんでした。そのため、臣下達が活躍する背後に控えている舜や禹の姿は誰にも見えなかったのです。手柄は総て臣下達のものにして、自分は政治に関わっていないかの如くでした。その在り方姿勢は、周公旦の伯父泰伯殿と通じるものがありますね。(泰伯第八、一章参照)
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☆ 補足の独言
堯舜禹の名前が出てきたならば、孟子(もうし)の時代以降に作られた創作である、と考えて間違いないらしいです。この章も、孔子没後に大流行(おゝはやり)をした老荘(ろうそう)の「上善(じょうぜん)(最も素晴らしいこと、最高のもの)は、何もしないことである」という思想に感化されて、孔子の願いは其方退(そっちの)けになって作られたお話と思われます。