9 子罕第九 5 のバックアップ(No.1)


☆ 子罕第九 五章

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 子畏於匡 曰 文王旣沒 文不在茲乎 天之將喪斯文也 後死者 不得與於斯文也 天之未喪斯文也 匡人其如予何

 

子(し)、匡(きゃう)に畏(ゐ)す。曰(いは)く、文王(ぶんわう)既(すで)に没(ぼっ)したれども、文(ぶん)茲(ここ)に在(あ)らずや。天(てん)の将(まさ)に斯(こ)の文を喪(ほろ)ぼさんとするや、後死(こうし)の者(もの)、斯(こ)の文に与(あづか)るを得(え)ず。天(てん)の未(いま)だ斯(こ)の文を喪(ほろ)ぼさざるや、匡人(きゃうひと)其(そ)れ予(われ)を如何(いか)にせん。

 

 ☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 

 先生の一行が匡(きょう)という村を通りかかったときのことです。突然その村の兵士達に取り囲まれて襲われそうになりました。原因はどうやら、その前にやってきた陽虎(ようこ)が暴れまわって、村中を蹂躙(じゅうりん)したためのようでした。先生は陽虎と体形も容貌もよく似ていたために間違われたようです。弟子達は、先生の生命(いのち)が危ない、といきり立ちました。そうした弟子達の不安と動揺を鎮(しづ)めるために、先生が言われました。

 「周の文王(ぶんのう)は五百年程前に亡くなられましたが、文王の、世の中を幸せに導く輝かしい業績は、文としてこの私の胸の内に確(しっか)りと存在しています。そして、諸国を巡っていて明瞭(はっきり)と解ったことですが、文王の文は最早(もはや)この私の中にしか残っていません。若しも天が、この文は必要ないから滅ぼそうというのであれば、文王の後(のち)にこの世に出(い)で来(き)たった私に天がこの文を伝える訳がありません。天はこの私に文を伝えるように託して下さったのです。天の意志は明瞭(はっきり)しています。天の意志を伝える使命を担(にな)った私を誰が如何(どう)することができるというのですか。心配はいりません。早まった行動をとらないように。落ち着きましょう。」

 そうして先生の一行は事なきを得たのです。

 

 ☆ 補足の独言

 

 これも私には、如何して周公旦(しゅうこうたん)ではなくて文王なのか、という疑問が生じてきます。

 「周公旦の文」では散文的で様(さま)にならず、「文王の文」だと韻(いん)を踏んで格好良(かっこい)いからかなあ、とか、周公旦より文王の方が威厳貫禄があって様になるからかなあ、とか・・・どうも小市民根性の穿(うが)った見方が顔を覗(のぞ)かせてくるようです。多分「桓魋(かんたい)の難」(述而第七 二十ニ章)を模した後世の創作であろうと思われますが、恐らくは実際にこれに近いような会話がきっと為されたであろう、と想像しています。

 また、「後死(こうし)の者」という以て回って勿体(もったい)をつけたような言い回しは、私のイメージする孔子像とは相容れないものがあります。