1 学而第一 11 のバックアップ(No.3)
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☆ 学而 第一 十一章
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子曰 父在觀其志 父沒觀其行 三年無改於父之道 可謂孝矣
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子曰く。父在(いま)せば其の志(こころざし)を観(み)、父沒(ぼっ)すれば其の行(おこなひ)を観る。三年父の道を改むる無きは、孝(かう)と謂ふ可し。
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☆意訳
先生が言われました。
その子が親孝行であるかどうか、を観るためには、このように試みればよいでしょう。
先づ一点は、父親が生きている場合です。この場合息子は、親の言うことを聞くのが当たり前ですから、親の言いつけを能く聞いているから親孝行だ、とは限りません。勿論言うことも聞かないというのは論外です。
親の言う通りに行えている場合には、その子の心の内を観る必要があります。親への愛情から行っているのか、恐いから仕方なしに言うことを聞いているだけなのか、ということですね。
次に、親が既に亡くなられている場合ですが、この場合は行動を観れば解ります。親から解放されて自分のしたいように自由に行動できるわけですから、どのくらい親を大切に思っているかは、行動にそのまま表れます。三回忌(丸二年)の喪が明けるまでは確(しっか)りと親の意志を尊重して受け継ぎ、自分の思いで勝手に変更する、などというようなことをしないようであれば、彼は親孝行である、と言って良いでしょう。
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☆心理屋の勝手解釈
この世界は、死者達が生きているときに創ったものです。一人々々が生涯をかけて築き上げ、後生(こうせい)に残して死んでいったのです。それに対する感謝の気持ちが先祖供養、お祭りになる、という面もあるでしょう。その気持ちの一番大本になるのが、親孝行という心の在り方なのです。孝は親への感謝の気持ちです。
そして、政治の本はお祭りです。であるからして政治のことを「まつりごと」と言うわけです。政治の大本も親孝行だということが解ります。そして「まつりごと」を正しく行うための作法が「礼」です。礼は、神への感謝を表す文字だそうです。礼と言うのは最も形骸化(けいがいか)し易(やす)い、という宿命を背負ったものだそうですが、礼の真髄は感謝の心です。
以上のようなことを考えてみると、孔子が何故(なぜ)「孝」をここまで重要視するのかが解る気がします。
「礼は最も形骸化し易い」と言いましたが、「孝は最も強制的になり易い」と言えるのではないでしょうか。形骸化も強制も、心が失われることによって起こる現象です。孔子が大切にしているのは、何時でも心です。「孝」も「礼」も「感謝の心」から出てきているのです。
その子が「孝」であるということは、その子の将来に「仁への道」が開かれている、ということになるのですね。