3 八佾第三 20 のバックアップ(No.1)
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- 1 (2021-07-28 (水) 19:18:50)
- 2 (2021-11-23 (火) 15:03:50)
☆ 八佾第三 二十章
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子曰 關雎樂而不淫 哀而不傷
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子曰く、関雎(くわんしょ)は楽しんで淫(いん)せず、哀(かな)しんで傷(やぶ)らず。
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☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)
先生が言われました。
「詩経」の最初の詩(うた)「関雎(かんしょ)」(何の鳥かは不明なので白川静先生の説に従って都鳥としておきます)は、とても素晴らしい歌ですね。情欲の世界の喜びを歌った歌なのに、心小さき人の下卑た淫らな所が全くありません。純真な恋心の素直な喜びや楽しみがそのまま素朴に表現されています。恋が成就(じょうじゅ)しないときの苦しみや悲しみも、事実を淡々と労(いたわ)りをもって描写されています。当事者のその時は死ぬほどの苦しみ悲しみであるわけですが、その感情に溺れるような感傷に浸ってはいません。紆余曲折あって、最後には愛でたく結ばれる二人の喜びを祝福する歌になっています。心の大きな君子に相応しい歌ですね。そしてまたこの歌は「中庸の美」を能く示している歌でもあります。
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☆ 補足の独言
「關雎」の訓読文と、無知な心理屋の勝手解釈の訳です。
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關雎(くわんしょ)
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一、關(くわん)々たる雎鳩(しょきう)は [こーこーと都鳥(みやこどり)は]
河(かは)の洲(す)に在り [河の洲にいて鳴いている]
窈窕(えうてう)たる淑女は [妖艶な乙女は]
君子の好逑(かうきう) [心広き善き人の妻に相応しい]
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二、參差(しんし)たる荇菜(かうさい)は [不揃いの浅葱菜(あさぎな)を]
左右に之を流(と)る [流れに捌(さば)いて占う]
窈窕たる淑女は [妖艶なる乙女は]
寤寐(ごび)に之を求む [善き人の朝な夕なに恋うる人]
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三、之を求めて得ざれば [恋する乙女の現れざれば]
寤寐に思服(しふく)す [寝ても覚めても想い病めり]
悠(いう)なるかな悠なるかな [憂(うれ)え悲しみ塞(ふさ)ぎ込み]
輾轉(てんてん)反側(はんそく)す [寝返り打てども眠られず]
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四、參差(しんし)たる荇菜(かうさい)は [不揃いの浅葱菜を]
左右に之を采(と)る [捌いて善きを探し取れば]
窈窕(えうてう)たる淑女は [妖艶な乙女は]
琴瑟(きんしつ)之を友(した)しむ [吾(われ)と共に琴を調べて楽しめり]
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五、參差たる荇菜は [不揃いの浅葱菜を]
左右に之を芼(えら)ぶ [捌いて善きを撰(えら)び決めれば]
窈窕たる淑女は [妖艶な乙女は]
鐘鼓(しょうこ)之を楽しむ [吾と共に鐘を鳴らして喜べり]