3 八佾第三 19

Last-modified: Sun, 18 Jul 2021 14:06:31 JST (1020d)
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☆ 八佾第三 十九章

 

 定公問 君使臣 臣事君 如之何 孔子對曰 君使臣以禮 臣事君以忠

 

 定公(ていこう)問ふ、君(きみ)、臣(しん)を使ひ、臣、君に事(つか)ふること、之を如何(いか)にせん。孔子対(こた)へて曰(いは)く、君は臣を使ふに礼を以てし、臣は君に事ふるに忠(ちゅう)を以てす。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 三桓(さんかん)に破れて斉に亡命した魯(ろ)の昭公(しょうこう)が晋(しん)で亡(な)くなられました。三桓は昭公の弟を立てて定公(ていこう)としました。定公は王である自分を蔑(ないがし)ろにして我が物顔に振る舞っている三桓に頭を抱えていました。そんな中で、三桓の一人の孟孫(もうそん)が推薦(すいせん)してきたらしい孔子に信頼を寄せた定公は、その悩みを先生に打ち明けて言いました。

 王さんが家臣を使い、家臣が王さんの言うことを聞くには、如何(どお)したらええんかのお。

 孔先生はそれに答えて言われました。

 王様が家臣を使う上で一番大切なことは「礼」です。それは思いやりと慈(いつく)しみで以て家臣に対して叮嚀に接してやることです。そして家臣が王様に仕えるときの一番大切なことは「忠」です。これは真心を籠める、心を尽くす、ということです。共にそのようであれば、総ては巧くいきます。しかしまあ、何ですね。下の板が歪(ゆが)んでいても、上に置く板が真っ直ぐであれば、下の板の歪みも段々と直っていきます(為政第二、十九章)。どの様な酷(ひど)い家臣に対しても、優しく温かく接してやることです。

 

☆ 補足の独言

孔子が言いたいのは、どの様な人間関係に於いても、一番大切なこと、本当に必要なものは心なんだということだと言えると思います。その大切な心の在り方が「仁」なのでしょう。相手を確(しっか)りと思いやることによってその人を深く理解し、深く理解することによって湧き上がってくる共感的理解の情感をもって、その人を深く思いやる。それが仁なのではないでしょうか。「礼」と言っても「忠」と言っても同じことです。すべてはその時その場その状況に則した相手への心の向け方を言っているだけだと思います。