1 学而第一 5 の変更点

Top > 1 学而第一 5

&size(36){''☆ 学而 第一 五章''};
&size(32){''☆ 学而 第一 五章''};
#br
 ''子曰 道千乘之國 敬事而信 節用而愛人 使民以時''
#br
 子曰く。千乗(せんじょう)の国を道びくに、事(こと)を敬(けい)して信、用を節して人を愛し、民を使ふに時を以(もっ)てす。
#br
''☆意訳''
''☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)''

 先生が言われました。

 大きな国を道理に沿(そ)って治(おさ)めるには、先づ、国のどのような事業を行う上でも、気を抜かず誠意をもって、筋の通った責任ある指導をしていくことです。そして贅沢(ぜいたく)や無駄(むだ)な浪費を一切慎(つつし)んで、民を深く愛(いと)おしむこと。それから民を使役(しえき)するときには、必ず農閑期を選び民の負担を極力少なくすることです。
#br
''☆心理屋の勝手解釈''
''☆ 補足の独言''

 孔子は何を目指して生きてきたのか。それは総ての人がしあわせになることです。そのためには先づ自分が他人(ひと)に迷惑をかけない生き方をすること、周りの人々をしあわせに導けるように援助することです。それが仁の実践でしょう。これは伝教大師(でんぎょうだいし)最澄(さいちょう)の「一隅(いちぐう)を照らす」という慈悲の実践の言葉がありますが、これとそっくりだと思います。自分が自分としてできる、仁や慈悲の実践。これこそが「一隅を照らす細(ささ)やかな灯火(ともしび)」です。それが積み重なり集まって、国中が、そして全世界が光り輝くようになったとき、しあわせが実現するのです。

 このような実践を倦(う)まず弛(たゆ)まずやり続けながら、孔子はこう考えます。「これが一番大切なことだけれども、これだけでは余りにも遅々(ちち)として程(ほど)遠い。国の為政者(いせいしゃ)こそが、仁を実践しなければならぬ。国政に参加して、この目でしあわせな世界の実現を見たい」。これこそが孔子の最も深い「見果てぬ夢」だったのです。この章には、孔子の愛に満ち溢(あふ)れた「道の実現(仁の実践)」への思いが響き渡っています。
#br
CENTER:[[前>1 学而第一 4]] [[次>1 学而第一 6]]

LEFT: