1 学而第一 14
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☆ 学而 第一 十四章
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子曰 君子食無求飽 居無求安 敏於事而愼於言 就有道而正焉 可謂好學也已
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子曰く。君子は、食、飽かんことを求むる無く、居(きょ)、安からんことを求むる無し。事(こと)に敏(びん)にして、言(げん)に愼(つつし)み、有道(いうだう)に就いて正(ただ)す。学を好むと謂ふ可きのみ。
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☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)
先生が言われました。
立派な人というのは、本能的な欲望である食欲を、満たして満足したい、というようなしあわせ感は持ちません。快適な住まいに住んで、のんびりと寛(くつろ)ぐしあわせ、という欲求も持ちません。立派な人のしあわせ感は、以下のようなものです。
仕事とかやる可(べ)きことは敏捷(びんしょう)に行い、無駄口は叩(たた)かず慎(つつ)ましく慎重に発言し、立派な実践ができている人について確りと指導してもらう。これがしあわせだという人であれば、それこそが「学を好む人」と言えるでしょう。
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☆ 補足の独言
立派な人というのは、欲望の無い人ではないようです。欲望の種類が違うのですね。一般の人の場合は、自分が楽になりたい、自分がよい思いをしたい、という欲求です。
孔子は天命を信じていたようです。自分に与えられた天命を理解して、それに沿って生きていくことこそが最大の欲求だったのではないでしょうか。天命はこの世を統(す)べる天の意志ですから、個人のしあわせとか利益とかには目もくれません。しかし、この天命に従う喜びは、周囲の人々と愛や情を分かち合う喜びを産みだしてくれます。その喜びをもっともっと、と願う成長欲求、これが孔子の懐(いだ)いていた欲求、欲望だったのだ、と思います。
「学が好き」というのは、本を読むのが好き、ということではないようです。「学が好き」の一番は、為す可きことをさっさとやる行動力、実行力のようです。そして、二番目は口下手(くちべた)。んーん、こうでなければ勉強は難しいのですかね。
古(いにしえ)の学問というのは、世の中を良くし、人々の暮らしを助けるための知識を実践するものでした。そのためには、行動力がなければ、学問は身についたことにはなりません。それ故に「事(こと)に敏(びん)」が一番に来るのでしょう。そして多分、孔子の周りには、口先ばかり巧くて実行の伴わない輩(やから)が多すぎたのではないでしょうか。勿論弟子達のことではなく、世間や政界の人達のことです。そのうんざり感が「言(げん)に愼(つつし)む」という言葉になったのではないか、などと想像を逞(たくま)しくしてしまうのです。まあ、何処(いづこ)も今も変わらないでしょうけれど。