8 泰伯第八 7

Last-modified: Sun, 05 May 2024 18:28:01 JST (13d)
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☆ 泰伯第八 七章

 

 曾子曰 士不可以不弘毅 任重而道遠 仁以爲己任 不亦重乎 死而後已 不亦遠乎

 

 曾子(そうし)曰(いは)く、士(し)は以(もっ)て弘毅(こうき)なら不(ざ)る可(べ)から不(ず)。任(にん)重(おも)くして道(みち)遠(とほ)し。仁(じん)以て己(おのれ)の任と為(な)す。亦(また)重(おも)から不(ず)や。死(し)して後(のち)に已(や)む。亦遠からずや。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 曽先生は、若い頃大先生(孔子)に言われたことを思い出していました。大先生はこう言っていました。

 士(し)、乃(すなわ)ち道に志す人は、広い心と金剛の意志を持っていなければなりません。道に志すということは、総ての人に常に思い遣りの心で接するということです。気を抜いて我儘(わがまゝ)を出して他人(ひと)に迷惑をかける、ということは許されません。士とは、生涯それを貫き通せる人のことを言うのです。

 使用人として孔子の下(もと)にやって来た曽参(そうしん)には、衝撃の言葉でした。

 何と凄い、何と難しいことなのだ。

 この大先生の言葉は、深く彼の中に残りました。そして自分の弟子達に対して、その実感をこのように語ったのです。

 道を志す者には、広い心と金剛の意志を持っていない、ということは許されないことです。それは責任が実に重く、道程(みちのり)が果てしなく遠いからです。士の任務は、庶民を幸せに導くことです。そのためには、常に皆に気を配って思い遣りに徹していなければなりません。これほど重く辛労(しんど)いことがあるでしょうか。而(しか)もそれは、此処(こゝ)までできたならばもう良い、という限界がありません。その重責は延々と続き、死んで後(のち)に初めて解放される、というものなのです。何と遠いことよ。気が遠くなりそうです。

 私は何とかそれをやってましたが、皆さんも心して、反省精進し励(はげ)んで下さい。

 

☆ 補足の独言

 自分の力の及ばないことを言われた曽参は、強く衝撃を受け乍(なが)らも、持ち前の真面目さで以て、このような愚痴(ぐち)の一つも言い乍ら頑張ってきたのでしょう。

 孔子は、何事も楽しんで行うことが一番大切である、と常々言っていますが、曽参にはそのような心のゆとりは、とてもではないが無かったようです。その為に思考が暗くなり、結果として、人生の苦しみを耐え抜く「忍(にん)」の生き方を賛美する文章、となって、後世(こうせい)それが却(かえ)って人気を博する結果になってきたように思われます。でもそれは、孔子の求める生き方、常に明るく希望を持って前向きに生きる生き方とは全く違うのではないでしょうか。