8 泰伯第八 6

Last-modified: Fri, 26 Apr 2024 15:22:03 JST (10d)
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☆ 泰伯第八 六章

 

 曾子曰 可以託六尺之孤 可以寄百里之命 臨大節而不可奪也 君子人與 君子人也

 

 曾子(そうし)曰(いは)く、以(もっ)て六尺(りくせき)の孤(こ)を託(たく)す可(べ)く、以て百里(ひゃくり)の命(めい)を寄(よ)す可く、大節(たいせつ)に臨(のぞ)みて奪(うば)ふ可から不(ざ)るは、君子人(くんしじん)か、君子人なり。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生(孔子)亡き後(あと)、孫の子思(しし)の面倒を看る弟子は一人もいませんでした。曽参(そうしん)は元々孔家の使用人で、子思の世話をしていましたから、孤児となり皆から見捨てられている子思を何とか助けるために、彼を連れて各地を放浪しました。愚直で心優しく唯只管(ひたすら)に孝(こう)の道を努力し続けた曽参には、先生の弟子達の冷たい態度に腹が立って仕方がなかったのではないでしょうか。

 そのような過去を思い出してか、或る時曽先生が言いました。

 王さんが早くに亡くなって、王位を継ぐには幼(おさな)過ぎる若君を、成人するまでその養育を委ねることができる人物であり、その間(かん)、国の政(まつりごと)をそつなく熟(こな)せる力量があること。そして、国の一大事の折には、狼狽(うろた)えて逃げたり寝返ったりせず、落ち着いてその難局に正面から対峙(たいじ)することができる。このようであれば、それこそ立派な人物、君子と言うに相応しい人と言えるのだろうか。然(そう)。勿論そうであってこそ、立派な人物と言えるのです。

 嘗(かつ)て私は、孤児(みなしご)になっていた先生のお孫さんの子思殿をお守りしてきました。本当にあの頃は大変でしたねえ。

 

☆ 補足の独言

 他の弟子達からは何時も軽く見られていた曽参は、心の奥に常に所謂(いわゆる)劣等感コンプレックスなるものを懐(いだ)いていただろう、と思われます。そんな曽参が子思を守り抜いて、その御陰で子思は孔子の、儒教の後継者として認められるまでにもなった。このことが、曽参が自身の劣等感を克服して自己肯定に至る一番の要因になったことでしょう。曽参に、政を熟(こな)す力量も、危機に直面して狼狽えない度量も、とてもあるとは思えませんが、子思の世話はやり抜いたのです。このことは本当に自分を褒(ほ)めてやって然(しか)る可きことです。曽参の中には、子思を見捨てた先輩同輩達に対する怨みの奥に、誰にも認められない寂しさ悲しさが渦巻いているように思われます。

 最後の「君子人か、君子人なり」という繰返しと、「君子」と言えば済むところを「君子人」と強調しているところからは、「子思を見捨てたお前達には仁、思い遣りの欠片(かけら)も無いではないか。俺はやったぞ。子思を託されて、その養育を全(まっと)うしたぞ。お前達にはできなかったじゃないか。俺も君子だ、と認めろ。」という悲痛な叫び声が聞こえてくるような気がします。