8 泰伯第八 5

Last-modified: Sun, 14 Apr 2024 23:14:35 JST (15d)
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☆ 泰伯第八 五章

 

 曾子曰 以能問於不能 以多問於寡 有若無 實若虚 犯而不校 昔者吾友 嘗從事於斯矣

 

 曾子(そうし)曰(いは)く、能(のう)を以(もっ)て不能(ふのう)に問(と)ひ、多(た)を以て寡(くわ)に問ひ、有(あ)れども無(な)きが若(ごと)く、実(み)つれども虚(むな)しきが若(ごと)く、犯(おか)さるれども校(かう)せず。昔(むかし)者(は)吾(わ)が友(とも)、嘗(かつ)て事(こと)に斯(ここ)に従(したが)へり。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 或る日、曽参(そうしん)は大先輩の顔淵(がんえん)(顔回がんかい)のことを思い出しているようでした。

 顏淵は如何(いか)なることに於いても、決して人を差別したり、否定的に評価をしたり、ということはしない人でした。総ての人に対して、尊敬の念を持って接していたのです。他人(ひと)を見下(みくだ)すこととも、自分が傲慢になることとも無縁でした。

 先生は「三人行くときは、必ず我が師有り。其の善なる者を択(えら)びて之に従い、其の不善なる者は之を改(あらた)む。」(述而第七、二十一章)人は誰でも長所と短所を有(も)っているから、共にいれば、必ず師として学ぶところがある。その長所だけを学んで、悪いところは改めれば良い、と言われました。しかし、顏淵の態度は少し違っていて、「其の不善なる者は之を改む。」が無いようでした。それは彼の中に優劣を比較する気持ちが全く無かったからだ、と思われます。顏淵の感覚は、こんな感じではなかったのか、と独善的に空想、妄想を拡げています。「人は誰でも長所を有(も)っているから、共にいれば、必ず師として学ぶところがある。他人(ひと)が誰かを攻撃するのも、何か不満を抱(かゝ)えているからで、彼自身が苦しんでいるからなのだ。」と。

 このような顏淵の姿を思い起こしてか、曽先生が弟子達に言いました。

 彼は、傍(はた)から見ると明らかに自分の方がよくできて理解力や考察力や技能、あらゆる点で優(まさ)っていると思える相手に対してでも、自分が解らない疑問なことがあると、素直に教えを請い素直に考えていましたね。知識量が遙かに劣る相手に対しても、それは変わらぬ姿勢でした。他(た)と比較する気など毛頭ないから、自分の理想と比べて未だ未だ足りないと思い、もっと自分自身を磨いて充実させねば、と常に心掛けていたのでしょう。それは本当に、芯から謙虚である、といえる姿でしたね。それに、筋の通らない、或いは理不尽な非難や攻撃をされたときでも、決して抗(あらが)って主張をしたり仕返しをしたり、ということは全くせず、どんなことにも謙虚な姿勢で受け流していたなあ。君達には想像できるかどうか分かりませんが、私の若い頃には、本当にそんなことが実践できていた友がいたのですよ。

 

☆ 補足の独言

 この内容が当て嵌まる人物は、『論語』を読む限り顔淵しかいません。恐らく当時の若い曾参にとっては、顔淵は雲の上の存在であった、と思われます。愚直で反省好きな曾参には、顔淵は正に憧れの理想像であったことでしょう。顔淵が私の友であったならどんなに素晴らしいことだろう、との夢のような思いを胸に懐(いだ)き続けてきたに違いありません。晩年になって、自分が少しは成長できたかな、という思いが、願いと重なって「吾が友」という言葉になって出てきたのであろう、と思われます。しかし「吾が友顏淵」と言うには余りにも烏滸(おこ)がましくて恥づかしかったのでしょうね。

 以上は、若し本当に曾参が言った言葉だとしたら、という前提の解釈です。しかし、どうも後世の創作臭いようで、だとしたら、孔家の使用人であった曽参を権威づけるために、顔淵と同列の友であった、と言わせているのかも知れません。