7 述而第七 32 のバックアップ(No.1)


☆ 述而第七 三十二章

 

 子曰 文莫吾猶人也 躬行君子 則吾未之有得

 

 子(し)曰(いは)く、文(ぶん)は吾(われ)猶(なほ)人(ひと)のごときこと莫(な)からんや。躬(み)君子(くんし)を行(おこな)ふは、則(すなは)ち吾未(いま)だ之(これ)を得(う)ること有(あ)らず。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 人という生命体は、心も身体(からだ)もバイオリズム(biorhythm生体周期)という、調子や活力の波を有(も)っています。この波が明確で極端な場合は双極性障害(そうきょくせいしょうがい)とか鬱(うつ)病とか呼ばれたりするみたいです。先生は身体の大きな人だったので、若しかしたら体型分類で言う肥満型の躁鬱気質(そううつきしつ)だったのかも知れませんが、多分違うと思います。「波」は気質に関係なく総ての人にあるのですから。孰(いづ)れにしても、先生にも当然この気分の波がありました。先生の場合は気分が落ちると、より自己反省が自己否定的方向に強くなる、という傾向があったように思われます。

 或るとき先生が、こんなことを言われました。

 学問に於いても私は、古(いにしへ)の賢人達と比べて全く足下(あしもと)にも及ばない情けない状態です。ですから、この身をもってして心の広い君子たらんと精一杯努力しているのですが、当然のことながら、とてもとても君子として相応(ふさわ)しい実践ができるところまで到達できていません。

 先生は、そのようなことをぽつりと漏(も)らした後はまた直ぐに元気になって、何時もの先生に戻るのでした。弟子達は、このように直ぐに元気になる先生の、その自分に厳しく諦(あきら)めない、飽(あ)くなき努力の姿勢の変わらなさに感嘆し、学ぶところが大きかったのです。

 

☆ 補足の独言

 ユング(Carl Gustav Jung 1875~1961)は、鬱病(うつびょう)を「創造的病(やまい)」と呼んでいます。その意味は、人は元気なときにはエネルギーを発揮して、遣(や)りたいことが存分にでき、現実に成果を上げていけます。しかしその内に段々とエネルギーが切れてくると、そのエネルギーは現実に発揮することができなくなって、心の奥に溜まっていくのです。傍(はた)からは落ち込んで元気がなくなったように見えますが、実は内面が活性化している、ということなのです。内に溜まったエネルギーは、疲労を恢復(かいふく)してくれるだけではなく、内面の作業を確りと活性化してくれるのです。ですから心の内側を本当に省察(せいさつ)できるのは、落ち込んでいるときにこそなのだ、ということです。孔子はこの心の法則を実に有効に活用していたのではないか、と思います。

 「私は古を真似(まね)ぶだけで、勝手な創造はしない」と言う孔子の、桁外れに豊かな創造性の源は、此処(こゝ)にあるのではないでしょうか。