7 述而第七 31

Last-modified: Wed, 17 Jan 2024 20:05:49 JST (100d)
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☆ 述而第七 三十一章

 

 子與人歌而善 必使反之 而後和之

 

 子(し)、人(ひと)と歌(うた)ひて善(よ)きときば、必(かなら)ず之(これ)を返(かへ)さしめて、而(しか)る後(のち)に之に和(わ)す。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 音楽の大好きな先生は、演奏を聴くことも楽器を奏(かな)でることも歌を歌うことも、とても積極的にしておられました。例えば、誰かが歌う歌を聴くときにはこんな風な感じです。

 先生は、歌った人が上手だなあと感じたときにはとても喜んで、「ブッラボー!アンコール!」と、その歌い手にもう一度歌ってもらえるようお願いをして、その歌に聴き入っていました。そしてそれだけでは終わらず、三度目には、自分もその歌い手さんと一緒に歌って、その場に居る皆(みんな)と喜びを分かち合い、楽しまれたのです。

 何故(なぜ)そのようなことが出来たのか、というと、先生は初めて聴いた歌でも、二度聴けば綺麗に覚えて、美事に歌い熟(こな)すことができたのです。これは善き音楽というものの基本的な構造や、どのような心の在り方や感情の変化が、どのように音の動きに表れるのか、といったような音楽の神髄を極めていなければ、とてもできることではありません。先生の音楽に対する造詣(ぞうけい)の深さが窺(うかゞ)われる出来事です。先生は、本職の宮廷楽士長とも対等に音楽を語り合えるほどでしたから。(八佾(はちいつ)第三、二十三章)

 

☆ 補足の独言

 孔子は、学問に於いて最も大切なことは、楽しむこと、喜ぶことである、と常々言っています。これは勿論、学問だけではなく人生の総てに於いて言えることです。

 楽しむためには、自分が好奇心を有(も)って、自(みづか)ら入り込んでいかなければなりません。好奇心を有ってその世界に入り込んだならば、自然必然にそこに楽しさと喜びが生じてくるのです。しかしこれでお終(しま)いではありません。喜びが生じたならば、その喜びは、皆と分かち合う必要があります。

 独逸(ドイツ)の詩人クリストフ・アウグスト・ティートゲ(Christoph August Tiedge 1752~1841)という人の『ウラーニアUrania、神と不死と自由について』という詩の中に「喜びは分かち合うことによって倍加し、悲しみは分かち合うことで半減する」という、諺(ことわざ)にもなっている言葉があります。このティートゲは、同じ独逸の作曲家ベートーヴェン(1770~1827)の友人でもありますが、彼のこの言葉は、究極の真理と言いたいほどに大切なものだと思います。それは既に彼の二千年以上も前に、釈迦も孔子も言っていることに通じるものです。喜びは皆と分かち合って倍加することによって、完成するのです。

 孔子は音楽を楽しむときも学問を楽しむときも、そこまでやっていたのですね。