7 述而第七 6 のバックアップ(No.1)
☆ 述而第七 六章
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子曰 志於道 據於德 依於仁 游於藝
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子(し)曰(いは)く、道(みち)に志(こころざ)し、徳(とく)に拠(よ)り、仁(じん)に依(よ)り、芸(げい)に游(あそ)ぶ。
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☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)
先生が言われました。
人として、人である自分として、正しい生き方を深く学び理解して、その実践を志して努力し続けることが何より大切なことです。
それには先づ、その実践することが、皆が得をし喜んで幸せになる、ということに繋(つな)がっている行為であることが必要です。そしてそのためには、その行為の裏に思い遣りの気持ちが常に付き纏(まと)っていなければなりません。しかしそれが義務感とか、本当は嫌(いや)なんだけど、という無理をして頑張るような気持ちでは意味がありません。そうすることが自分にとっては一番楽しいことだから、自分の喜びになることだからしたいのだ、という心の在り方が大切です。
もう一度言いますね。正しい道を志して、努力を怠らないようにしなさい。そのための拠(よりどころ)は「皆の幸せのため」ということです。そしてそのために心掛けることは「思い遣り」です。それが「喜び」をもってできたなら善いのです。
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☆ 補足の独言
孔子が言った言葉だとしたら、何(ど)の様に理解することでより孔子の言葉らしくなるのか、と考えて訳してみました。
「道」は「誰でも人は、部屋から出るためにはその部屋の出入り口を必ず通らねばならいと解っているのに、社会に出るためには必ず通らねばならない、私の教える道を、如何(どう)して通ろうとはしないのだろうか」(雍也第六、十五章)と嘆いているその「道」と同じものだと理解しました。「徳」は、皆にとって有益となる行為、「仁」はそれを行うための心構え、という風に考えてみました。「芸」は六芸(りくげい)と解されることが多いようですが、六芸に限定しない方が善いように思います。「芸に遊ぶ」で、学問や技術の習得を楽しんで行う心のゆとりの大切さを言っているのではないか、と思います。