6 雍也第六 7 のバックアップ(No.2)


☆ 雍也第六 七章

 

 季氏使閔子騫爲費宰 閔子騫曰 善爲我辭焉 如有復我者 則吾必在汶上矣

 

 季氏(きし)、閔子騫(びんしけん)をして費(ひ)の宰(さい)為(た)らしめんとす。閔子騫曰(いは)く、善(よ)く我(わ)が為(ため)に辞(じ)せよ。如(も)し我(われ)を復(ふたた)びする者(もの)有(あ)らば、則(すなは)ち吾(われ)は必(かなら)ず汶(ぶん)の上(ほとり)に在(あ)らん。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生の弟子の中で年長者に属する、閔子騫(びんしけん)という先生より十五歳年下の弟子がいました。彼は、顔回(がんかい)、冉伯牛(ぜんはくぎゅう)、冉雍(ぜんよう)と並んで、行い、心の優れた人(徳行の人)、として知られていました。

 それを見込んでのことでしょう、魯国の筆頭家老の季孫氏が閔子騫のところに、費(ひ)という大都市の長官になってくれないか、という依頼の使者を寄越してきました。これは大変に名誉なことで、誰もが飛びつきたくなるような美味しい話です。ところが閔子騫はこう言って断ったのです。

 過分なお引き立て、実(まこと)に有り難く光栄に存じます。なれども私(わたくし)めは斯様(かよう)な役職に就く気持ちは毛頭御座りませぬ。御苦労をお掛けしますが、お帰りになられましたら何卒(なにとぞ)私めの為にお断りの段、御領主様に呉々も宜しくよしなにお伝え下さい。

 使いの者は、何だか立派そうな訳のわからぬ言葉を並べられて、その柔らかな物腰に釣られて「はあ」といっていると、閔子騫は突然眼光鋭くこう釘を刺しました。

 私は本気ですよ。若し再び勧誘に来られるようなことがありましたならば、私は北方の斉(せい)の国との国境を流れる汶(ぶん)という川を渡って斉の国へ亡命せざるを得なくなってしまいます。私めがそのような辛い事態に追い込まれることがないように、どうか私を助けて下さい。

 欲を廃して信念を貫く姿勢の素晴らしさに驚きますが、断り方の美事さにも感心しました。

 

☆ 補足の独言

 我慾権力欲の強い季孫家に仕えないのが善いことなのか、仕えて糺(たゞ)すことが善いことなのか。孔子は冉有には仕えさせて、糺せない心の弱さを叱っています。心の優しい冉有の実らぬ努力の方が、閔子騫の凜(りん)とした姿勢よりも徳行が劣る、といえるのか。私にはわかりません。どちらも素晴らしい、と思えるので。