1 学而第一 16 のバックアップ(No.3)
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- 1 (2021-05-17 (月) 12:10:37)
- 2 (2021-05-29 (土) 21:22:50)
- 3 (2021-06-08 (火) 10:35:34)
☆ 学而 第一 十六章
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子曰 不患人之不己知 患不知人也
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子曰く。人の己(おのれ)を知らざるを患(うれ)へず。人を知らざるを患ふ
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☆意訳
先生が言われました。
他人(ひと)が自分のことを分かってくれない、と嘆くのはおかしいですね。心は目には見えないものです。見えないものを理解してもらうことはできません。分かってもらおうと思って一生懸命説明しようとすると、すればするほど饒舌(じょうぜつ)になっていきます。饒舌になればなるほど真実からは遠ざかってしまいます。分かってもらうことを求めることは、虚(むな)しいことです。
しかし、自分が他人(ひと)のことをわからない、というのは嘆(なげ)かわしくも情けないことです。その人が如何(どん)なひとか、何を考え何を思い感じているのか、ということは、その人を能(よ)く観(み)ればわかることです。表情、立ち振る舞い、語り口、ちょっとした筋肉の動き。それらは皆、その人の心の在り方や変化が表出したものです。そして、その心の在り方や変化の奥には、その人がそうなっている原因や理由があります。人間観察を確(しっか)り積んで深く人間理解ができていれば、そのようなこともわかってくるものです。「人を知らざる」ということは、それができていない、ということですから、これは憂(うれ)う可き情けないことですね。
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☆心理屋の勝手解釈
学而篇第一の最後は、実に簡潔な孔子らしい言葉で締(し)め括(くく)られています。全くその通りではあるけれど、実に難しくて、これができるのは悟りの境地だ、と言っていいように思います。簡潔で含蓄の深い言葉ですね。