1 学而第一 16

Last-modified: Tue, 08 Jun 2021 10:35:34 JST (1060d)
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☆ 学而 第一 十六章

 

 子曰 不患人之不己知 患不知人也

 

 子曰く。人の己(おのれ)を知らざるを患(うれ)へず。人を知らざるを患ふ

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が言われました。

 他人(ひと)が自分のことを分かってくれない、と嘆くのはおかしいですね。心は目には見えないものです。見えないものを理解してもらうことはできません。分かってもらおうと思って一生懸命説明しようとすると、すればするほど饒舌(じょうぜつ)になっていきます。饒舌になればなるほど真実からは遠ざかってしまいます。分かってもらうことを求めることは、虚(むな)しいことです。

 しかし、自分が他人(ひと)のことをわからない、というのは嘆(なげ)かわしくも情けないことです。その人が如何(どん)なひとか、何を考え何を思い感じているのか、ということは、その人を能(よ)く観(み)ればわかることです。表情、立ち振る舞い、語り口、ちょっとした筋肉の動き。それらは皆、その人の心の在り方や変化が表出したものです。そして、その心の在り方や変化の奥には、その人がそうなっている原因や理由があります。人間観察を確(しっか)り積んで深く人間理解ができていれば、そのようなこともわかってくるものです。「人を知らざる」ということは、それができていない、ということですから、これは憂(うれ)う可き情けないことですね。

 

☆ 補足の独言

 学而篇第一の最後は、実に簡潔な孔子らしい言葉で締(し)め括(くく)られています。全くその通りではあるけれど、実に難しくて、これができるのは悟りの境地だ、と言っていいように思います。簡潔で含蓄の深い言葉ですね。