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''&size(36){☆ 里仁第四 二十二章};'' ''&size(32){☆ 里仁第四 二十二章};'' #br '' 子曰 古者 言之不出 恥躬之不逮也'' #br 子曰く、古者(いにしへ)、言(ことば)を之(こ)れ出(いだ)さざるは、躬(み)の逮(およ)ばざるを恥(は)ぢてなり。 #br ''☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)''&br; 先生が言われました。&br; 今の人はどうも言葉を巧みに操&size(24){(あやつ};&size(24){)};&size(24){って世の中を巧く渡っていこうとする傾向が強いようですね。大言壮語を軽く吐けるし、それを実践できなくても恥ぢ入る風がないように見受けられます。}; 対人関係で最も大切なものは「信」です。相手から信頼を得るためには、約束は必ず果たす、つまり言ったことは必ず実行して実現する、という事実を積み重ねる必要があります。言葉は実現しなければ意味がありません。すなわち、言葉は実在なのです。そうすると、非常に重くて、おいそれとは口にできないものだ、と分かります。 対人関係で最も大切なものは「信」です。相手から信頼を得るためには、約束は必ず果たす、つまり言ったことは必ず実行して実現する、という事実を積み重ねる必要があります。言葉は実現しなければ意味がありません。実現しない言葉は実体のない観念でしかありません。すなわち、現実の伴った本来の言葉は、言葉自体が実体であり実在なのです。そうすると、非常に重くて、おいそれとは口にできないものだ、と分かります。 古(いにしえ)の賢人達はそのことを能く知っていました。できたことは口にしても、できる前に口にすることはしない。口にしたならば、命を賭けてもそれをやり遂げる。そうすることによって初めて信が得られるのです。言ったことができなかったならば、それは最も忌む可き恥なのです。それでは他者(ひと)から軽蔑されることになってしまいます。が、それが恥なのではありません。賢者や君子を目指して人格の向上に努めている自分が、自(みづか)ら己(おの)が人格を貶(おとし)めてしまうことをする、ということが恥なのです。 #br ''☆ 補足の独言'' 「信」という文字は「人が言う」「人の言葉」と書きますが、言うことの重さを能く表した文字だと思います。実践を伴った実在の言葉たからこそ「信」なのですね。 日本語の感覚で言えば、言葉は生きている、言葉には言霊(ことだま)が宿っている、ということでしょう。 #br CENTER:[[前>4 里仁第四 21]] [[次>4 里仁第四 23]]