4 里仁第四 22

Last-modified: Wed, 13 Jul 2022 17:51:53 JST (660d)
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☆ 里仁第四 二十二章

 

 子曰 古者 言之不出 恥躬之不逮也

 

 子曰く、古者(いにしへ)、言(ことば)を之(こ)れ出(いだ)さざるは、躬(み)の逮(およ)ばざるを恥(は)ぢてなり。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)
 先生が言われました。
 今の人はどうも言葉を巧みに操(あやつ)って世の中を巧く渡っていこうとする傾向が強いようですね。大言壮語を軽く吐けるし、それを実践できなくても恥ぢ入る風がないように見受けられます。

 対人関係で最も大切なものは「信」です。相手から信頼を得るためには、約束は必ず果たす、つまり言ったことは必ず実行して実現する、という事実を積み重ねる必要があります。言葉は実現しなければ意味がありません。実現しない言葉は実体のない観念でしかありません。すなわち、現実の伴った本来の言葉は、言葉自体が実体であり実在なのです。そうすると、非常に重くて、おいそれとは口にできないものだ、と分かります。

 古(いにしえ)の賢人達はそのことを能く知っていました。できたことは口にしても、できる前に口にすることはしない。口にしたならば、命を賭けてもそれをやり遂げる。そうすることによって初めて信が得られるのです。言ったことができなかったならば、それは最も忌む可き恥なのです。それでは他者(ひと)から軽蔑されることになってしまいます。が、それが恥なのではありません。賢者や君子を目指して人格の向上に努めている自分が、自(みづか)ら己(おの)が人格を貶(おとし)めてしまうことをする、ということが恥なのです。

☆ 補足の独言

 「信」という文字は「人が言う」「人の言葉」と書きますが、言うことの重さを能く表した文字だと思います。実践を伴った実在の言葉たからこそ「信」なのですね。

 日本語の感覚で言えば、言葉は生きている、言葉には言霊(ことだま)が宿っている、ということでしょう。