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''&size(36){☆ 里仁第四 十七章};'' #br ''子曰 見賢思齊焉 見不賢而内自省也'' #br 子曰く、賢(けん)を見ては斉(ひと)しからんことを思ひ、不賢を見ては内(うち)に自(みずか)ら省(かへり)みる。 #br ''&size(24){☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)};''&br; 先生が言われました。&br; 人に会って、「ああ、この人は心の大きな立派な人格の人だなあ」と感じたとき、自分の心が大きければ、乃(すなわ)ち君子であれば「自分もこの人のようにもっと立派な人格になりたい」と思う気持が起こります。自分の心が小さい、乃ち小人(しょうじん)であると、敵対心が湧(わ)いて粗探(あらさが)しをしたり攻撃的になるか、劣等感を懐(いだ)いていぢけたりおべっかを使ったり、といようなことになってしまいます。&br; 人に会って、「ああ、この人は心の小さな、とても人格の優れた人だとは言えない人だなあ」と感じたときには、自分の心が大きければ、「自分の中にもこの人のように狭い了見で独り善がりな身勝手なことを言ったりしたりしてしまうところがないだろうか」と我が身を振り返って内省する思いが起こります。自分の心が小さいと、優越感から「こいつは自分が付き合うに価(あたい)しない、自分にとっては益のない駄目な奴だ」と切り捨てたり、自分の優越感をひけらかし満たすための道具として利用する、或いは、非難攻撃軽蔑侮辱の対象にして、自分の人格をもっと貶(おとし)めてしまうことをしてしまいます。&br; 「賢を見習い、不賢からは学ばせてもらう」、これが心の大きな人の在り方です。(述而第七、二十一章参照) #br ''☆ 補足の独言'' この章は、述而(じゅつじ)第七の二十一章と全く同じことを述べています。 #br CENTER:[[前>4 里仁第四 16]] [[次>4 里仁第四 18]]