1 学而第一 10 のビジュアル編集 Top > 1 学而第一 10 ☆ 学而 第一 十章 子禽問於子貢曰 夫子至於是邦也 必聞其政 求之與 抑與之與 子貢曰 夫子温良恭儉譲以得之 夫子之求之也 其諸異乎人之求之與 子禽(しきん)子貢(しこう)に問ひて曰く。夫子(ふうし)の是(こ)の邦(くに)に至るや、必ず其の政(まつりごと)を聞く。之(これ)を求めたるか、抑(そもそも)之を与(あた)へられたるか。子貢曰く。夫子は温(をん)、良(りゃう)、恭(きょう)、倹(けん)、譲(じゃう)以て之を得たり。夫子の之を求むるは、其れ諸(こ)れ人の之を求むるに異なるか。☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈) 子禽(しきん)が子貢(しこう)に質問しました。 先生(孔子)は、どこの国に行っても必ず、君主や為政者から国の治め方を質問されています。これは、先生の方が向こうに働きかけているのでしょうか。それとも向こうが先生に求めてくるから、そうなっているのでしょうか、と。 子貢は言いました。 先生は五徳(ごとく)を備えているお方だ。温和で、安心できる人柄で、礼儀正しく慎み深く、飾り気なく素のままで、決して出しゃばることなく相手を大切にする。 そのような人物を前にしたならば、誰であっても安心して信頼し、頼りたくなるでしょう。当然、自然と相手の方が求めて与えてくれるのです。勿論(もちろん)先生が求めてない訳ではありませんよ。ただ普通、人は、官位とか禄(ろく)とか、自分の利益になることを求めるものです。しかし先生にはそれは全く無いですね。先生が求めているものは、理想の政治ができる場なのです。同じ求めると言っても、他の人とは全く違っているようですね。☆ 補足の独言 孔子を丸で理解できていない弟子の質問のお陰で、子貢の深い孔子理解が聞けて大変有り難いことだと思います。 この章から私が一番感銘を受けるのは、子貢の心の広さです。子禽の懐(いだ)いた疑問というのは、余りにも孔子のことを知らな過ぎる、卑俗な下種(げす)の勘ぐりと言えるようなことです。孔子を心底信頼している子貢にとっては、耐え難(がた)いほどの嘆(なげ)かわしいことであったのではないか、と思うのです。私が子貢の立場であったなら、思わずむっとするところです。そしてちょっと声を荒げて、「先生はなあ」とお説教をしてしまうかも知れないな、と思います。ところが子貢は、子禽の懐(いだ)いた思いを全面的に受け止めて、優しく冷静に先生の姿を教えています。私の目には、これぞ理想のカウンセラー、と映(うつ)ります。私自身もっともっと修業を積まなくては、という自分の目標、将来に対する希望が湧いてきて嬉しくなる子貢の姿です。 「温(おん)、良(りょう)、恭(きょう)、倹(けん)、譲(じょう)」この五つは、一つ一つを叮嚀(ていねい)に見ていく必要は無い、と思います。同じような意味のことを五回繰(く)り返しているだけだと思うからです。優しい、思いやりがある、誠実、飾らない、我を張らない等々等々。きっと子貢は、この五つの言葉を言ったのでは無いのてはないか、と想像します。どの言葉も、一つだけでは先生の姿を表し尽くせない。先生の温かさ、心の大きさは、表現のしようがない。そこで彼は思いつく言葉を片っ端から挙げていったのではないか、と思います。恐らく論語の編者は、どの言葉を採用するのか、ということでさぞかし悩んだことでしょう。そして数は切りの良いところで五つにしたのではないしょうか。 時を経て、論語を読んだ儒者が、この五つが孔子の徳を表す重要なものと考えて「五徳」と呼ぶようになったのではないか、と思うのです。門外漢の強みで、根拠も考証も何も無いことを好き勝手に言わせてもらいました。前 次 &size(32){''☆ 学而 第一 十章''}; #br '' 子禽問於子貢曰 夫子至於是邦也 必聞其政 求之與 抑與之與 子貢曰 夫子温良恭儉譲以得之 夫子之求之也 其諸異乎人之求之與'' #br 子禽(しきん)子貢(しこう)に問ひて曰く。夫子(ふうし)の是(こ)の邦(くに)に至るや、必ず其の政(まつりごと)を聞く。之(これ)を求めたるか、抑(そもそも)之を与(あた)へられたるか。子貢曰く。夫子は温(をん)、良(りゃう)、恭(きょう)、倹(けん)、譲(じゃう)以て之を得たり。夫子の之を求むるは、其れ諸(こ)れ人の之を求むるに異なるか。 #br ''☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)'' 子禽(しきん)が子貢(しこう)に質問しました。 先生(孔子)は、どこの国に行っても必ず、君主や為政者から国の治め方を質問されています。これは、先生の方が向こうに働きかけているのでしょうか。それとも向こうが先生に求めてくるから、そうなっているのでしょうか、と。 子貢は言いました。 先生は五徳(ごとく)を備えているお方だ。温和で、安心できる人柄で、礼儀正しく慎み深く、飾り気なく素のままで、決して出しゃばることなく相手を大切にする。 そのような人物を前にしたならば、誰であっても安心して信頼し、頼りたくなるでしょう。当然、自然と相手の方が求めて与えてくれるのです。勿論(もちろん)先生が求めてない訳ではありませんよ。ただ普通、人は、官位とか禄(ろく)とか、自分の利益になることを求めるものです。しかし先生にはそれは全く無いですね。先生が求めているものは、理想の政治ができる場なのです。同じ求めると言っても、他の人とは全く違っているようですね。 #br ''☆ 補足の独言'' 孔子を丸で理解できていない弟子の質問のお陰で、子貢の深い孔子理解が聞けて大変有り難いことだと思います。 この章から私が一番感銘を受けるのは、子貢の心の広さです。子禽の懐(いだ)いた疑問というのは、余りにも孔子のことを知らな過ぎる、卑俗な下種(げす)の勘ぐりと言えるようなことです。孔子を心底信頼している子貢にとっては、耐え難(がた)いほどの嘆(なげ)かわしいことであったのではないか、と思うのです。私が子貢の立場であったなら、思わずむっとするところです。そしてちょっと声を荒げて、「先生はなあ」とお説教をしてしまうかも知れないな、と思います。ところが子貢は、子禽の懐(いだ)いた思いを全面的に受け止めて、優しく冷静に先生の姿を教えています。私の目には、これぞ理想のカウンセラー、と映(うつ)ります。私自身もっともっと修業を積まなくては、という自分の目標、将来に対する希望が湧いてきて嬉しくなる子貢の姿です。 「温(おん)、良(りょう)、恭(きょう)、倹(けん)、譲(じょう)」この五つは、一つ一つを叮嚀(ていねい)に見ていく必要は無い、と思います。同じような意味のことを五回繰(く)り返しているだけだと思うからです。優しい、思いやりがある、誠実、飾らない、我を張らない等々等々。きっと子貢は、この五つの言葉を言ったのでは無いのてはないか、と想像します。どの言葉も、一つだけでは先生の姿を表し尽くせない。先生の温かさ、心の大きさは、表現のしようがない。そこで彼は思いつく言葉を片っ端から挙げていったのではないか、と思います。恐らく論語の編者は、どの言葉を採用するのか、ということでさぞかし悩んだことでしょう。そして数は切りの良いところで五つにしたのではないしょうか。 時を経て、論語を読んだ儒者が、この五つが孔子の徳を表す重要なものと考えて「五徳」と呼ぶようになったのではないか、と思うのです。門外漢の強みで、根拠も考証も何も無いことを好き勝手に言わせてもらいました。 #br CENTER:[[前>1 学而第一 9]] [[次>1 学而第一 11]] #br ページの更新 通常編集モードに切り替える データ参照プラグイン 入力支援ツールを表示 ▼参照先ページ選択:データを表示 元データの書式(インラインプラグイン)を継承する