2 為政第二 12 のビジュアル編集 Top > 2 為政第二 12 ☆ 為政第二 十二章 子曰 君子不器 子曰く。君子は器(き)ならず。☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈) 先生が言われました。 立派な人というのは、自分の有(も)っている技術や能力で以て役に立つことを目指す人ではありません。それぞれの人の個性能力得手(えて)を能く心得て、皆が満足して喜んで働けるように配慮ができる人のことです。 立派な人とは、それぞれの人が、固有の掛け替えのない大切な存在(器(うつわ))として存分に能力を発揮できるように、個々を能く理解して、その上で全体を広く見渡すことができている人のことなのです。☆ 補足の独言 「(君子は、)其の人を使うに及びては、之を器(き)にす」(子路第十三、二十五章)という文章と併(あわ)せて考えてみると、君子は器(うつわ)を使う立場であって、器として活動するのではないのだ、ということのように思われます。 「器にあらず」とか「器にす」とか、人を物扱いしていると誤解されそうですが、そんなことは孔子には思いも寄らないことでしょう。器に譬えることで、人の個々の個性の大切さを伝えてくれているのですね。前 次 ''&size(32){☆ 為政第二 十二章};'' #br '' 子曰 君子不器'' #br 子曰く。君子は器(き)ならず。 #br ''☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)'' 先生が言われました。 立派な人というのは、自分の有(も)っている技術や能力で以て役に立つことを目指す人ではありません。それぞれの人の個性能力得手(えて)を能く心得て、皆が満足して喜んで働けるように配慮ができる人のことです。 立派な人とは、それぞれの人が、固有の掛け替えのない大切な存在(器(うつわ))として存分に能力を発揮できるように、個々を能く理解して、その上で全体を広く見渡すことができている人のことなのです。 #br ''☆ 補足の独言'' 「(君子は、)其の人を使うに及びては、之を器(き)にす」(子路第十三、二十五章)という文章と併(あわ)せて考えてみると、君子は器(うつわ)を使う立場であって、器として活動するのではないのだ、ということのように思われます。 「器にあらず」とか「器にす」とか、人を物扱いしていると誤解されそうですが、そんなことは孔子には思いも寄らないことでしょう。器に譬えることで、人の個々の個性の大切さを伝えてくれているのですね。 #br CENTER:[[前>2 為政第二 11]] [[次>2 為政第二 13]] #br ページの更新 通常編集モードに切り替える データ参照プラグイン 入力支援ツールを表示 ▼参照先ページ選択:データを表示 元データの書式(インラインプラグイン)を継承する