7 述而第七 37

Last-modified: Wed, 21 Feb 2024 10:18:46 JST (66d)
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☆ 述而第七 三十七章

 

 子温而厲 威而不猛 恭而安

 

 子(し)は温(をん)にして厲(はげ)し。威(ゐ)あって猛(たけ)からず。恭(うやうや)しくして安(やす)し

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 偉大な人物とはどのような人なのか。誰しもが気になるところですね。先生の印象に就いては、このように言った人があります。

 先生は穏やかで温和な人柄ですが、同時にとても厳しいところのある人でした。そして、威厳のある立ち振る舞いには圧倒的な迫力がありましたが、相手を威圧するような猛々しさは全くありませんでした。その上、とても慎(つゝし)み深く、ぴしっとして礼儀正しいのに、窮屈(きゅうくつ)なところがなくて、ゆったりと寛(くつろ)いで落ち着いておられました。と。

 偉大な人物像の定型は、「温厚で、威厳があって、礼儀正しい」ということになるでしょう。しかし人間得てして、温和であれば生温(なまぬる)く、威厳があれば威圧的に、礼儀正しければ窮屈に、となり勝ちなものです。それ故に、それを超えたもっと偉大な人であれば、この矛盾を克服して両立させているのです。先生は正にそういう人でした。

 しかし、それは先生だけには限りません。例えば先生の尊敬していた、鄭(てい)の子産(しさん)や斉(せい)の晏嬰(あんえい)など、世に傑出した人物は皆そうです。

 此処には偉大な人物の共通項が述べられていますが、先生の特有の個性は述べられていません。正しくはありますが、言わずもがなの常套語(じょうとうご)ですね。とは言え、君子と言われるような偉大な人はこうだ、ということも知っておいて良いと思うので、そのまゝ載せておきましょう。もっと具体的な先生の個性的なお人柄は、この『論語』の全体から掴(つか)んでみて下さい。

 

☆ 補足の独言

 この章の冒頭の「子」は、「子曰(しえつ、しいわく)」となっている本と、「君子」となっている本と、三通りの異本があるそうです。何時ものように孔子が弟子達に言った教訓なのか、此処で訳したように、孔子のことを誰かが言ったのか、将又(はたまた)孔子を代表とする君子というものに就いて述べられたものなのか。孰(いづ)れにしても、意味合いは大して変わらないでしょう。一寸(ちょっと)竹簡(ちくかん)が勿体(もったい)ないな、というのが、正直な思いです。