8 泰伯第八 3

Last-modified: Fri, 29 Mar 2024 00:05:51 JST (30d)
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☆ 泰伯第八 三章

 

 曾子有疾。召門弟子曰、啓予足、啓予手。詩云、戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰。而今而後、吾知免夫、小子。

 

 曾子(そうし)、疾(やまひ有(あ)り。門弟子(もんていし)を召(め)して曰(いは)く、予(わ)が足(あし)を啓(ひら)け、予が手(て)を啓け。詩(し)に云(い)ふ、戦戦兢兢(せんせんきょうきょう)として、深淵(しんえん)に臨(のぞ)むが如(ごと)く、薄冰(はくひょう)を履(ふ)むが如し、と。而今(いま)にして後(のち)〔而今而後じこんじご〕、吾(われ)免(まぬか)るるを知(し)るかな、小子(せうし)。

 

☆意訳 (心理屋の勝手解釈)

 曾先生(曽参子輿(そうしんしよ))が病で臥せっていたときのことです。彼は自分の弟子達を枕元に集めて言いました。

 布団を捲(めく)って私の足を観てみなさい。私の手を観てみなさい。大先生(孔子)の愛された『詩経(しきょう)』にこんな言葉があります。「戦々兢々(せんせんきょうきょう)、深淵(しんえん)に臨(のぞ)むが如(ごと)く、薄氷(はくひょう)履(ふ)むが如)し」。落ちたら死んでしまう深い淵を覗き込むような、或いは薄くて割れそうな氷を踏んで歩くような、極まりない危険に怯(おび)え震(ふる)えて生きていく、と。私は大先生の教えに従って、日に三省しながら、この詩に言われているような思いで「孝」の道を極めてきました。もう直(じき)この世ともお別れです。何とか孝に違(たが)うことなく、父母より受けた身体髪膚(しんたいはっぷ)無傷のまゝで人生を全(まっと)うできそうです。親孝行の一番ができたのです。このために如何(どん)なに気を配って苦労してきたことか。漸(ようや)くこの恐怖から解放されるのです。解りますか、君達。私を見習って、孝の道を確りと歩んでいくのですよ。

 

☆ 補足の独言

 曽参子輿は、孔子より四十六歳下の弟子と言われていますが、実際は弟子ではなく、召使(めしつか)い、孔家の家事使用人だったようです。誠実で生真面目(きまじめ)だったのでしょうが、理解力が悪かったようで、孔子からは「魯(ろ)」魯鈍(ろどん)、愚(おろ)かで鈍(にぶ)い、と評されています。この章自体は後世の創作らしいのですが、彼の理解力の悪さがよく表れているように思えます。

 恐らく彼は親孝行な良い子だったのではないでしょうか。その長所を孔子は認めて確(しっか)りと伸ばしてあげたのでしょう。

 孝行のために、親から貰った身体を傷付けないように、必死で自分の身を守る、というのでは本末転倒です。時には、他人(ひと)を守るために自分の身を犠牲にしなければならないこともあります。それができてこそ立派な人、君子と言えるのです。しかし先生は、曽参にはそのようなことよりも親を敬い、それ故に自分の身を大切にする、という実践こそが必要だ、と判断されたのではないでしょうか。その結果彼は、召使いから臨終に弟子達が集(つど)ってくれる先生にまでもなったのです。

 仏典にも似た話があります。

 釈迦の弟子で、十六羅漢の一人に数えられるまでになった周利槃特(しゅりはんどく、チューラ パンタカ)という人の話です。周利槃特は釈迦の弟子の中で、もっとも愚かで頭の悪い人だったと伝えられています。彼はどのような簡単なことも覚えられませんでした。何とか覚えても、次に進めばもう前のことは忘れている。そのような自分に絶望して泣いているところに、釈迦がやって来て「どうしたのですか」と尋ねました。彼は答えました。

 私は余りにも頭が悪くて皆の勉強に付いていけません。祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)(釈迦学園)を去るしかない、と思い泣いているのです。

 釈迦が言いました。

 「自らを愚かだと知ることは、先づ一番に必要な大切なことです。それを知っている者をどうして愚か者と言えるでしょうか。自分を賢いと思い上がっている者こそが本当の愚か者ではないですか。」

 そうして釈迦は、周利槃特に一本の箒(ほうき)を渡して言いました。

 この箒で精舎(学園)の中を毎日掃(は)いて下さい。そして掃きながら、「塵(ちり)を除こう、垢(あか)を除こう」と唱(とな)え続けるのです。これが貴方の勉強であり、修行(しゅぎょう)です。

 周利槃特は只管(ひたすら)に頑張りました。初めのうちは、「塵を除こう、垢を除こう」というたったの二句が覚えられず苦労しました。

 何年か経って、再び釈迦が訪れて、柔(にこ)やかに言いました。

 貴方は、何年掃除(そうじ)をしていても上達しませんね。それで良いのですよ。否(いや)、それが、良いのです。上達しないと大抵は嫌になって、修行を放棄してしまいます。貴方はそれでも耐えて、同じようにやり続けています。上達することも大切ですが、根気よく同じことを続けるということは、もっともっと大切なことなのです。そういう貴方を見ていると、私はとても嬉しいですね。確り励(はげ)んでください。

 こうして修行を続けている内に、はっと、唱(とな)えている呪文(じゅもん)の意味が解ったのです。「除く可き塵や垢とは、貪(とんrāga)、瞋(じんdveṣa) 、痴(ちmoha)という心の汚れのことなのだ」と。悟りを得ることを、阿羅漢果(あらかんか)を得る、悟った人のことを羅漢(らかん)と言いますが、彼はその後(ご)、悟った人を代表する十六羅漢に入れられるまでになったのです。

 因(ちな)みに、赤塚不二夫の漫画『天才バカボン』に出てくる「レレレのおじさん」は、この周利槃特がお手本になっているのではないか、という噂(うわさ)が昔からまことしやかに流れています。

 脱線し過ぎましたかね。話を戻しましょう。

 「戰戰(せんせん)兢兢(きょうきょう)として、深淵(しんえん)に臨(のぞ)むが如く、薄冰(はくひょう)を履(ふ)むが如し。」という詩は、そのように生きることが良いことだ、という意味ではありません。そのような生き方は最悪な訳で、王は民がそのようなことにならないように心せねばならない、と言っているのではないでしょうか。無傷なことは、自慢できることではないのです。

 しかし、このような曽参(そうしん)には、他にも素晴らしいところがあります。孔子亡き後(あと)、孫の子思(しし)の面倒を、弟子達の誰一人みようとはしませんでした。曽参一人が世話をして、儒教の伝統を繋(つな)いだのです。孝を一面からしか捉えられず、窮屈な安まらない人生を送った曽参ですが、儒教を後世に伝え広める礎(いしずえ)を作ったのも彼である、とも言えるのではないでしょうか。『論語』の編纂をしたのも曽参の弟子達である、という説もあります。

 

 参考までに、曽参の引用した『詩経』の原詩を揚(あ)げておきます。

 

 詩経 小雅(しょうが) 小旻(しょうびん)

 

 【一節】旻天疾威 敷于下土 謀猶回遹 何日斯沮 謀臧不從 不臧覆用 我視謀猶 亦孔之邛。

 〔旻天(びんてん)疾威(しつゐ) 下土(かど)于(に)敷(あまね)し 謀猶(ぼういう)回遹(くわいいつ)す、何(いづ)れの日(ひ)か斯(こ)れ沮(や)まむ。謀(はかりごと)の臧(よ)きには從(したが)は不(ず)、臧(よ)から不(ざる)を覆(かへ)って用(もち)ふ、我(われ)謀猶(ぼういう)を視(み)るに、亦(また)孔(はなは)だ之(これ)邛(うれ)ふ。〕

 【二節】潝潝訿訿 亦孔之哀 謀之其臧 則具是違 謀之不臧 則具是依 我視謀猶 伊于胡底。

 〔潝潝(きふきふ)訿訿(しし)として 亦(また)孔(はなは)だ之(これ)哀(かな)し 謀(はかりごと)之(の)其れ臧(よ)きには 則(すなは)ち具(とも)に是(こ)れ違(たが)ひ 謀之臧(よ)から不(ざる)には 則(すなは)ち具(とも)に是れ依(よ)る 我(われ)謀猶(ぼういう)を視(み)るに 伊(こ)れ于(ここ)に胡(なん)ぞ底(いた)らむ。〕

 【三節】我龜既厭 不我告猶 謀夫孔多 是用不集 發言盈庭 誰敢執其咎 如匪行邁謀 是用不得于道。

 〔我(わ)が龜(き)既(すで)に厭(あ)き 我(われ)に猶(はかりごと)を告(つ)げ不 謀夫(ぼうふ)孔(はなは)だ多し 是(ここ)を用(もっ)て集(な)ら不 發言(はつげん)庭(てい)に盈(み)つるも 誰(たれ)か敢(あへ)て其の咎(とが)を執(と)らむ 匪(か)の行邁(かうまい)に謀(はか)るが如し 是(ここ)を用(もっ)て道(みち)于(に)得(え)不。〕

 【四節】哀哉為猶 匪先民是程 匪大猶是經 維邇言是聽 維邇言是爭 如彼築室于道謀 是用不潰于成。

 〔哀(かな)しい哉(かな)猶(はかりごと)を為(な)すに 先民(せんみん)に是(こ)れ程(はか)るに匪(あら)ず 大猶(たいいう)を是(こ)れ經(きゃう)とするに匪(あら)ず 維(こ)れ邇言(じげん)を是(こ)れ聽(き)き 維(こ)れ邇言(じげん)を是(こ)れ爭(あらそ)ふ 彼の室(しつ)を築(きづ)く于(に)道に謀(はか)るが如し 是(ここ)を用(もっ)て成(な)る于(に)潰(と)げ不。〕

 【五節】國雖靡止 或聖或否 民雖靡膴 或哲或謀 或肅或艾。

 〔國(くに)止(さだ)まる靡(な)しと雖(いへど)も 或(ある)いは聖(せい)或いは否(ひ) 民(たみ)膴(おほ)きこと靡(な)しと雖(いへど)も 或いは哲(てつ)或いは謀(ぼう) 或いは肅(しゅく)或いは艾(かい)。〕

 如彼泉流 無淪胥以敗。

 〔彼(か)の泉流(せんりう)の如く 淪(おちい)りて胥以(あひとも)に敗(やぶ)るる無かれ。〕

 【六節】不敢暴虎 不敢馮河 人知其一 莫知其他 戰戰兢兢 如臨深淵 如履薄冰。

 〔敢(あへ)て暴虎(ぼうこ)せ不(ず) 敢て馮河(ひょうが)せ不 人(ひと)其の一を知るも 其の他を知るもの莫(な)し 戰戰(せんせん)兢兢(きょうきょう)として 深淵(しんえん)に臨(のぞ)むが如く 薄冰(はくひょう)を履(ふ)むが如し。〕

 

 【要約】

 王の政治の余りの酷(ひど)さに、天は怒っている。その怒りは地上を覆い尽くしている。それでも気付かぬ王は、面倒な善い案は退け、安易な愚策ばかりを採用する。臣下達は、徒党を組んで他を非難するばかりで、責任を取ろうとする者は一人もいない。神聖な占いも、都合の悪い卦(け)には従わずしてやり直すので、亀も嫌になって真実を告げなくなってしまった。偉大な先人の手本を省みず、正しい道を考えない。無知な者や素人(しろうと)の意見を採用しては、失敗を繰り返すばかり。

 国が不安定でも、民が少なくても、ピンキリ様々な人がいる。立派な人も内省深い人も才知溢れた人も、探せばいるのに。

 暴虎馮河(ぼうこひょうが)、素手で虎と戦ったり黄河を舟を使わず歩いて渡ったり、という行為は命を落とす恐ろしいことだ、ということだけは誰でも知っている。ところが、今の政治の現状が暴虎馮河と同じ危険を孕(はら)んでいる恐ろしいことなのだ、ということを誰も知らない。

 それを知れば、戦々兢々(せんせんきょうきょう)、怖さに身が縮まり身体の震えが止まらない。それは、深淵(しんえん)に臨(のぞ)むが如く、薄氷(はくひょう)を履(ふ)むが如し。乃ち、奈落(ならく)の底に通じる穴の縁(ふち)から覗き込んで落ちそうになるような恐怖であり、深く冷たい水に張った薄い氷の上を歩くような恐怖である。政治が悪いと、民にこのような恐怖を与えることになるのだ。