2 為政第二 11

Last-modified: Tue, 08 Jun 2021 11:05:37 JST (1060d)
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☆ 為政第二 十一章

 

 子曰 温故而知新 可以爲師矣

 

 子曰く。故(ふる)きを温(あたた)めて新(あたら)しきを知れば、以て師為(た)る可し。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が言われました。

 古典を確(しっか)りと学びましょう。学ぶとは、古典に礼を尽くして謙虚に教わることです。そして、その教わったことは心の中にそっと置いて、繰返し繰返し反芻(はんすう)吟味しましょう。そうすることによって、今の自分にとって大切な必要なことが自(おの)ずからわかってきて、成長した新しい自分が誕生するのです。

 このようであれば、後輩を導いていく資格がある、と言って良いでしょう。

 

☆ 補足の独言

 論理的に言えば、「故(ふる)きを学んで新(あたら)しきを知る」となるのだと思います。そう言われると、「なるほど、それは大事なことだ」と思いますが、それだけのことです。これが「故きを訪(たず)ねて新しきを知る」と表現されると、学(がく)が生命(いのち)を有(も)って息衝(いきづ)いて私達を迎(むか)えてくれます。論理的合理性の次元から、一段と高まって、生きた人間活動、心の交流の次元になります。ところが孔子の語る世界は、その次元すらも超えているようです。

 「故きを温(あたた)めて新しきを知る」。この表現には、孔子の学問への愛情の籠(こ)もった思いの深さが感じられて、真(しん)に感動的です。

 「温」という字は焚(た)き火の暖かさではありません。生きた人の身体(からだ)の暖かさです。学として学んだことを、自分の身体の中に確(しっか)りと容(い)れ込んで、そのままじっと温めておきなさい、ということでしょう。親鳥が卵を抱くように、米や大豆が麹菌(こうじきん)で発酵(はっこう)するように。心の中に靜かに置いておいて熟成するのを待つのです。

 そして「新しきを知る」とは、雛(ひな)が孵(かえ)り、酒や味噌ができる、ということですね。それは、成長した新しい自分の誕生です。

 このような作業ができているならば、指導者、教師として合格です。ということは、いくら博学であっても、その知識が自分自身のものになっていない限り、人を教え導く資格はありません、ということですね。