1 学而第一 1 のバックアップ(No.2)


子曰。學而時習之。不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。 Edit

子(し)曰(いわ)く、学(まな)びて時(とき)に之(これ)を習(なら)う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。
朋(とも)有(あ)り遠(えん)方(ぽう)自(よ)り来(き)たる、亦(また)楽(たの)しからずや。
人(ひと)知(し)らずして慍(いか)らず、亦(また)君(くん)子(し)ならずや。

 先生(孔子)が言われた。
 先人の大切な教えを確りと学んで、機会を逃さず何時でもそれを実習する。これは本当に心が浮き浮きとして、こんな充実した喜びに満ちたことが他にあろうか。そうではないですか。
 信頼し合い尊敬し合う同志が、遠路遙々訪ねてきてくれることがあります。旧交を温めていると、彼と、ならではの満足な深まりが再燃してきます。こんな楽しいことが又とあるでしょうか。ね。
 私達は自分のことを認めて貰えていないと、不愉快になり、がっかりしたり腹を立てたりしてしまいます。然し大切なことは今述べたことの方です。他人に善く見てもらう為に生きるのではなく、自分の心を喜びに満ちた楽しいものにすることこそが大切なのです。私達が目指す理想の人間像(君子)は、それができている人のことを言うのです。

 

 

論語はどうして学ぶのか? Edit

論語は、君子になるためにはどうしたらいいか。

立派な人になるためにはどうしたら良いかが説かれている。

学んだことを、自分の身に照らし合わせて理解せよ(考えよ)。それが生きた学問である。

 

「時に之を習う・亦楽しからずや」の意味 Edit

現実に、必要に応じてそれを実習していく、学んだら、それをすぐに実践していく。

それは、とても楽しいことじゃないか。

それを使えるところで使ってみる、之が時習 その状況に応じて、それを実際に実践する。

それが使える状況で、それを実践することが、之を習うということ。

 

学びて習う Edit

学んだことを、自分で復習して身につけて実習する。

 

論語読みの論語知らず Edit

知識は持っているが、実践が伴っていない人のこと。 

 

遠方より朋来る、亦楽しからずや Edit

みんなと極めていきたいという思いと、知られることはどうでも良いという所の矛盾

知られて朋がきてくれたら嬉しい、知られなくて誰も来てくれなくても平気でおれる。それが君子の君子たるゆえんである。