1 学而第一 12

Last-modified: Tue, 08 Jun 2021 10:25:49 JST (1060d)
Top > 1 学而第一 12

☆ 学而 第一 十二章

 

 有子曰 禮之用和爲貴 先王之道斯爲美 小大由之 有所不行 知和而和 不以禮節之 亦不可行也

 

 有子曰く。礼は之(これ)和を用(もっ)て貴(たっと)しと為す。先王の道は斯(これ)を美と為すも、小大之(これ)に由(よ)れば、行はれざる所有り。和を知って和するも、礼を以って之を節せざれば、亦(また)行はる可からず。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 有先生が言われました。

 礼は、相手に不快感を与えないための美しい爽やかな儀礼的行為です。礼儀作法は厳しいものです。しかしそれは先生(孔子)が常々言っているように、形だけの礼は礼ではありません。心があっての礼なのです、思いやりが礼の本質なのです、ということですね。「和を貴しと為す」とはこのことでしょうが、また礼は人間関係を円滑に運ぶためのものでもあります。そのために相手が気持ちよく居れるように心使いをする、それが礼であり、「和を貴しと為す」ということです。周(しゅう)の文王(ぶんのう)のような王は、「和こそが美しい」と最高の評価をしていますが、実は和だけでは何でも彼(か)でも巧くいくものではないのです。和の大切さを知って実践できていても、礼儀作法の厳しさがなければ駄目なのです。大切なのは、和と厳しさのどちらにも偏(かたよ)らず、調和を持って中庸(ちゅうよう)を保つ、ということです。先生(孔子)も優しくて厳しい方でした。

 

☆ 補足の独言

 残念なるかな有若は、孔子の言葉を正しく理解できていなかったように思えます。

 「礼は和をもって貴しとなす」ここは孔子の言っていることと矛盾しなくて、問題ありません。しかし続く「先王の道はこれを美となすも、小大これによれば、行はれざる所有り」というのは如何(どう)なんでしょうか。文王は和を最高評価しています。ところが有若はそれだけでは巧くいくとは限らない、と言うのです。文王周公の治世は、孔子にとっては最高の理想です。文王だけでは巧くいくとは限らない、なんてことは考えも及ばないことです。

 孔子は、礼は作法でもあり形式が重視され易く、心が留守(るす)になって形骸化し易いから気を付けなさい、と言っているのです。和に偏り過ぎてはいけないのではありません。完全な礼の中には、完全な和があります。和だけだと崩れてしまうような和は、本当の和ではありません。礼も厳しいものですが、和も厳しいものです。思いやりの配慮が、如何(いか)に自分の精神を律することを要求してくるものか。馴れ合い的な甘えや許し、のようなものは決して和ではありません。寧ろ和を破壊するものです。

 若しかしたら、有若にはそのへんの甘さがあって、折衷と中庸を混同してしまっているのかも知れません。