1 学而第一 6

Last-modified: Tue, 08 Jun 2021 01:41:00 JST (1061d)
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☆ 学而 第一 六章

 

 子曰 弟子入則孝 出則弟 謹而信 汎愛衆而親仁 行有餘力 則以學文

 

 子曰く。弟子(ていし)入りては則(すなは)ち孝(かう)、出(い)でては則ち弟(てい)、謹(つつし)みて信あり、汎(ひろ)く衆を愛して仁に親(ちか)づき、行(おこな)ひて余力有らば、則ち以て文(ぶん)を学ばん。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が言われました。

 若者達よ、家の中では親孝行をすることが大事です。世の中に出たならば、目上の人を確(しっか)りと敬愛することです。そして、何事にも謹み深くあって、言葉には聢(しか)と責任を持って、友の信頼を裏切らないように心掛けましょう。

 それから、性格が好きとか嫌いとか、相性が合うとか合わんとかで態度を変えるのではなく、どのような人に対しても愛と思いやりの心で接するように心掛けることです。そして、そのような仁に近い人と親しくするようにしましょう。

 このことが理解できたならば、早速に実行しましょう。この作業こそが、真の仁者になるための道であり、何にも優先して重要なことです。学問を学ぶことなどば、その努力を確(しっか)りと行った上で、なお余力があるならば、やれば善いことです。

 

☆ 補足の独言

 孔子にとっては、親への孝、親孝行ということが、何にもまして大きなことのように思われます。西洋心理学風に考えれば、「幼少期体験の、親からの愛の満たされなさ」ということになるのでしょう。父は顔も知らず、母も若いときに死んでしまった。親に対する強烈な思慕(しぼ)の情があって当然だろうと思います。''

 中国に於ける孝の強調は、論語の影響なのか、それ以前からの中国古来の伝統なのかは知りません。ただ日本古来の伝統的な感覚とは随分違うな、と思います。中国では親が大切なようです。親の一番大きな願いは、子供が元気に立派に育ってしあわせになってくれること、です。それ故、一番の親不孝は親より先に死ぬこと、となりますね。これほど親を苦しめ嘆かせることはありません。だから、親より先に死んだ子は、それだけの理由で地獄に落とされることなにる訳です。私の感覚では、こんな理不尽な発想は有り得ない、と思ってしまいます。この悲しい子供達の話が、日本では、賽(さい)の河原の地蔵伝説になっていったようです。

 万葉集五ノ八〇七には、山上憶良(やまのうえのおくら)の「銀(しろがね)も金(くがね)も玉(たま)も何せむに 優(まさ)れる宝(たから)子にしかめやも」という和歌があります。万葉集の中ではちょっと毛色の変わった歌のようですが、これにはしっくりと馴染(なじ)める感触があります。日本では子が大切なようです。

 親が大切か子が大切か。これはどちらも一長一短で、孔子が「中庸(ちゅうよう)」という言葉で強く戒(いまし)めているように、極端に走っては、どちらであってもとんでもないことになりますね。

 また視点を変えてみますと、孔子においては、「皆がしあわせに暮らすためには、先づ秩序が必要」という信念が強く感じられます。秩序を整えるためにはそれぞれの立場や上下関係を明確にして、それらを犯さないことが条件になります。この秩序の中で、上に立つ者が私欲を抑(おさ)えて下の者のために尽(つ)くすことができれば、それが「仁」であって、平和な社会が実現するのです。そのような仁の人になるために、若者達の先づしなければならないことが、「入(い)りては孝(こう)、出(い)でては弟(てい)」ということなのです。この編の二章で有若が「孝弟は仁の本か」と言っているのが、このことですね。

 大切なのは仁に向けての努力、実習と、仁の実践であって、仁の知識ではありません。知識ばかりが仰山(ぎょうさん)あって、実践の伴(ともな)っていない人のことを、今では、「論語読みの論語知らず」と言っています。論語を知るということは、論語が実践できている、ということなのですね。