2 為政第二 21

Last-modified: Tue, 08 Jun 2021 11:23:09 JST (1060d)
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☆ 為政第二 二十一章

 

 或謂孔子曰 子奚不爲政 子曰 書云孝乎 惟孝 友于兄弟 施於有政 是亦爲政 奚其爲爲政

 

 或(ある)ひと孔子に謂(い)ひて曰く。子、奚(なん)ぞ政(まつりごと)を為(な)さざる。子曰く。書(しょ)に孝を云ふ、惟(これ)孝は、兄弟(けいてい)に友(ゆう)にして、政有(あ)るに施(ほどこ)すと。是れ亦(また)政を為す。奚(なん)ぞ其(そ)れ政を為すことを為さん。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 或る人が孔先生に問いかけてきました。

 先生、貴方はどうして政界に出て行って、自分の力で世の中を良くしようと努力なさらないのですか。

 先生は言われました。

 書経に孝について書かれていることをご存じでしょう。孝は皆がしあわせになるための一番基礎になるものです。親孝行ができていれば、兄弟の仲も愛と信頼に満ちた善いものになります。そしてそれは国の政(まつりごと)にそのまま影響を与えるのです。そう書いてありますね。自分が直接関わる身近な人間関係を善いものにするように努めること、これこそが政の基本なのではないですか。私はこれをちゃんと実践しています。それなのにどうして政に携(たずさ)わっていないと言えましょうか。これもまた政の実践です。それは明らかではないですか。態々(わざわざ)政界に乗り出して活動する必要が如何してありましょうか。

 

☆ 補足の独言

 もしかすると、この章は「陽貨第十七、一章」の事件と同じ時の出来事なのかも、と想像を逞(たくま)しくしてみましょう。だとすると、この「或るひと」というのは、陽貨(ようか)のこととなります。陽貨は、孔子も一時務めていた季孫(きそん)家の家老の陽虎(ようこ)のこと、と推測することになります。彼はこの後(のち)に謀反(むほん)を起こした野心家です。彼は非常に優秀で、学にも秀(ひい)でて権謀術数の名手と言える策士(さくし)でした。彼は謀反を起こすために孔子を利用しようとして、声をかけてきたようです。

 孔子は不逞(ふてい)の輩(やから)から三度誘いを受けたようです。最初が陽虎(陽貨第十七、一章)、次に、公山弗擾(こうざんふつじょう)(陽貨第十七、五章)、三度目は晋の佛肸(ひつきつ)(陽貨第十七、七章)からです。

 義に反し仁から外れるを認めるわけにはいかないはずです。ところが孔子は、陽貨の誘いからは必死で逃げようとしていますが、弗擾と佛肸からの誘いには、積極的に乗ろうとして、子路から諫(いさ)められています。これは如何(どう)いうことなのでしょうか。私にはここに孔子の魅力、誠実な素直さと口先だけではない積極的な行動力が現れているととれるのです。

 陽虎は、孔子に匹敵するほどの学識と、孔子が全く太刀打ちできない策士の能力を持っています。孔子はそのことを能く能く知っているので、ここは逃げの一手でいこうとします。そして策を講じるのですが、まんまと陽虎の策にはまっていしまい、対話を強いられることになってしまったようです。

 そこでこの章の話になります。陽虎から、政界に出てこい、と言われて、正直に答えて、そうですか、と引き下がってくれる相手ではないことは解っています。ここは現実の話ではなく、政(まつりごと)の基本理念の話でごまかすしかない、と孔子らしくない逃げの手を打ちます。我々にとってはそのお陰で、政の基本理念の一つが解って、大変有り難いことではあります。

 恐らくその続きが「陽貨第十七、一章」の陽貨との対話になるのだと思います。そこでは理念で逃げた孔子を、陽貨の方が現実を指摘して遣り込めています。孔子の予想通りの結果になった訳ですね。

 しかし、その数年後に起きたと思われる弗擾の誘い。そのまた数年後の佛肸の誘い。このときには何故か孔子は、その誘いを積極的に受けようとしています。先生の何時も言っていることに反する行動、子路は本当に吃驚(びっくり)したのでしょうね。必死で止めています。孔子もそれを期待して子路に言ったのかも知れません。

 この孔子の不可解な行動には当然、理由があると思います。一つは陽虎の時と違って、自分の信念が確(しっか)りと確立していたのでしょう。「もう悪に遣(や)られはしない。善で以て悪を浄化してみせよう。それを行動しなければ、「義を見て為(せ)ざるは、勇無きなり」(為政第二、二十四章)となってしまう。天命を全うするためにも、今自分にできることをやらねばならぬ。譬えそれでどんな悪の汚名を着せられようとも」という激しい気概(きがい)の噴出(ふんしゅつ)だったのではないでしょうか。どんなことにも全力投球していく姿勢が諸(もろ)に出た事件だと思います。子路が止めてくれたお陰で助かりましたが。

 とは言っても矢張り、孔子の中に強い焦(あせ)りがあったということも否(いな)めないと思います。理想社会の実現(道)に目処(めど)が立たない現実の困難さに対する焦りであり、その焦り故に、今こそ政治理念を実践する、またとない好機と思ったのではないでしょうか。それがもう一つの理由だったのではないかと思います。

 話が先の章に飛び過ぎましたが、この章の事件の時の孔子は、まだそこまでの内的な安定感は持ててなかったように思います。冷静に素直に自分を見詰めて、今の自分は陽虎には勝てない、と判断したのでしょうね。この冷静で的確な内省力が、孔子の成長の原動力だと思います。