2 為政第二 23

Last-modified: Tue, 15 Jun 2021 23:57:00 JST (1053d)
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☆ 為政第二 二十三章

 

 子張問 十世可知也 子曰 殷因於夏禮 所損益可知也 周因於殷禮 所損益可知也 其或繼周者 雖百世可知也

 

 子張(しちゃう)問ふ。十世(じっせい)知る可(べ)きや。子曰く。殷(いん)は夏(か)の礼(れい)に因(よ)る。損益(そんえき)する所知る可きなり。周(しゅう)は殷の礼に因る。損益する所知る可きなり。其(そ)れ周に継(つ)ぐ者或(あ)らば、百世(ひゃくせい)と雖(いへど)も知る可きなり。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 子張(しちょう)が、孔子の超人的な理解力の秘訣(ひけつ)を教えてもらいたいと思って、質問しました。

 先生、今は周王朝の時代ですが、この後(のち)次々と王朝が交替していって、遙(はる)か十代の後にはどの様になっているのかを知ることはできるのでしょうか。

 先生は言われました。

 貴方は礼のことを能く勉強しているから、そのことで考えてみましょう。

 我が国の王朝は夏(か)から始まって、殷(いん)、周(しゅう)と交替してきましたね。

 殷は夏の礼を受け継いでいます。枝葉末節(しようまっせつ)的なことと言える、実際のやり方は時代の変化に合わせて変動しています。それは調べてみれば解ることですね。それでも、礼の精神、真髄はぶれることなく受け継がれています。そして周は殷の礼を、全く同様に受け継いでいることも解りますね。

 この後、もし周が滅びて次の王朝が起(た)ったとしても、そのまた次そのまた次の王朝と、百代先になったところで同じことです。

 礼の何が如何(どう)受け継がれ如何変化したのかは、過去を確りと学び調べることによって解ります。「温故知新」(為政第二、十一章)です。そうすることによって将来のことも、予測は必ずできるのです。これは決して神秘的なものでも、霊的や直感的なものでもありませんよ。

 

☆ 補足の独言

 孔子は本当に徹底的に古典を学び、それを愛して温め続けていたのだなあ、と感じ入ります。古典を幾(いく)ら読んでも、その文字からは形しか伝わってきません。それを愛し温めることによって初めて心が伝わるのですね。

 孔子が愛し温めることによって伝えてくれた、堯(ぎょう)舜(しゅん)から周公(しゅうこう)旦(たん)に至る聖人の心を、私達は論語を愛し温めることによって、孔子の心として少しでも伝わるのではないかなあ、と夢見ています。

 

 ・子路が死のことを問うたときには、孔子はこう応えています。「未(いま)だ生を知らず、焉(いづく)んぞ死を知らん」(先進第十一、十一章)と。

 孔子の基本姿勢の一つは、先のことを勝手に妄想して悩むのではなく、今を大切にして生きろ、ということがあるように思います。ですから子張のこのような観念的妄想に対しては答えないのが普通です。それなのに子張には答えています。一体、十世先という遙か彼方の未来のことと、子路の質問の死と、何処(どこ)が違うのでしょうか。

 鬼神乃至(ないし)死のことは、過去や文献からは学べません。超重大なことであるということは、学ばなくてもわかることであって、そのまま大切に置いておかねばならないことです。

 十世先のことは、そうではありません。十世先というのは、過去現在未来という時系列の繋(つな)がりの中のことです。時系列は因果の法則の中の出来事です。因果の法則は、学問と観察によって学ぶことができます。「五十にして以て易(えき)を学べば、以て大過(たいか)無かる可し」(述而第七、十六章)と言っているのは、易の思想が人生の普遍的根源的な変遷の哲理を教えてくれるものだからでしょう。

 さてこの学ぶということは如何(どう)することなのか。それが「温故知新(おんこちしん)」であり、その具体的な作業を、孔子は子張に伝えたかったのではないでしょうか。

 孔子は「知ることができる(可知)」と言っていますが、この「知る」というのは、我々の感覚で理解する知るというのとは何か違っているように思います。普通の知るという意味では、孔子も将来や未来のことは何も知らない、と言えます。だからこそ三桓との戦いにも敗れたし流浪の旅も失敗に終わった訳です。孔子自身能くわかっていることでしょう。

 「知ることができる(可知)」というのは、世の中や社会の変遷といったようなものには何か大きな、天命とか自然の摂理としか言いようのないものがある。それは思い込みや妄想ではなくて、現実を能く観察することで見えてくるものである。それが掴めたならば、未(いま)だ来たらずの未来も、将(まさ)に来たらんとすの将来も、心のぶれない確信を懐(いだ)いて迎えることができる。この心の姿勢こそが大事なのだ、と孔子は言いたいのだと思います。