2 為政第二 3

Last-modified: Tue, 08 Jun 2021 10:46:31 JST (1061d)
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☆ 為政第二 三章

 

 子曰 道之以政 齊之以刑 民免而無恥 道之以徳 齊之以禮 有恥且格

 

 子曰く。之(これ)を道(みちび)くに政(まつりごと)を以(もっ)てし、之を斉(ととの)ふるに刑(けい)を以てすれば、民(たみ)免(まぬが)れて恥(はぢ)無し。之を道(みちび)くに徳(とく)を以てし、之を斉(ととの)ふるに礼(れい)を以てすれば、恥有りて且(かつ)格(ただ)し。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が言われました。

 国の治(おさ)め方には、正反対の二通りの方法があります。一つは一般的な方法です。それは、してはならぬことと、せねばならぬことを、はっきりと明確に分けた法律で以て、生き方の方向性を限定指定して導き、総ての国民を従(したが)わせるためには、違反者には刑を定めてこれを罰する、という方法です。こんな方法を実行すると如何(どう)なると思いますか。違反すると罰せられる、というのは、実際にはそうとは限りません。見つからなければ罰せられることはないのです。そうすると、悪いことをしても発覚さえしなければ善いのだ、ということになってしまいます。そうなると、悪い自分を恥じて反省する、という必要がなくなります。それだけでなく、法が悪いことと決めていなかったら、どんなに他者を害したり迷惑な行為であっても平気でやっていくという、法の目を搔(か)い潜(くぐ)る輩(やから)も横行してきます。情を無視した杓子定規な取り締まりが、庶民の心をもっともっと荒廃させていくのです。

 それに対してもう一つの素晴らしい方法があります。それは、生活している国民に対して、愛情と思いやりをもって、困っているところを手助けし、生活がより良くなるように導いていき、違反者にも思いやりをもって対応します。彼等には適切な罰を与えたうえで、皆と上手くやっていけるように指導していく、という方法です。そうすると、この徳と礼のある指導者に助けられることによって、その指導者の在り方に感化され、真似(まね)て自分も善き人にならなければ恥ずかしい、という気持が湧(わ)き出てきます。そうなれば、後(あと)は自然に皆が正しい在り方に向かって行(い)ってくれるのです。

 これが政治の最も大切な心構えですね。上に立つ者が、すなわち皆を指導していく立場に在る者が、このことを心得て、身を尽くして実践して欲しいのです。

 

☆ 補足の独言

 孔子は偉大な心理学者でした。繊細微妙な心の世界を誰よりも能く理解していたようです。それは孔子が、人を求め、人を愛し、人を心底大切に感じていたからでしょう。心の複雑微妙さがわかっていれば、一般論では何の役にも立たない、ということは火を見るよりも明らかです。孔子の心は何時でも、今、目の前に居て自分と対峙(たいじ)している人に向けられています。それ故に、嫌(いや)でも人間理解が深まっていったのでしょうね。その深い人間理解が孔子の哲学を形成していったのでしょう。

 孔子は偉大なる哲学者です。昔は、哲学者は実践家でした。(今でもそうであるはずなのですが・・・)孔子の当時の社会の現状では、実践の一番大きなものが政治でした。ですから孔子は、自分の道徳哲学の実践のために、政治家になることを何時でも望んでいたのです。その政治理念が、「徳」という哲学なのですね。

 孔子の政治哲学からわかる大事なこと。それはこのようには言えないでしょうか。

 
為政者は支配者ではありません。
為政者は指導者なのです。
指導者には、威張ったり私腹を肥やしたりする権利はありません。
指導者には、皆をしあわせに導く義務があるのです。