2 為政第二 4

Last-modified: Tue, 08 Jun 2021 10:48:50 JST (1060d)
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☆ 為政第二 四章

 

 子曰 吾十有五而志于學 三十而立 四十而不惑 五十而知天命 六十而耳順 七十而從心所欲 不踰矩

 

 子曰く。吾(われ)十有五(じふいうご)にして学(がく)に志(こころざ)す。三十にして立つ。四十(しじふ)にして惑(まど)はず。五十にして天命(てんめい)を知る。六十にして耳順(みみしたが)ふ。七十(しちじふ)にして心の欲(ほっ)する所に従(したが)ひて、矩(のり)を踰(こ)えず。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が言われました。

 私は十五歳の頃に、学問で身を立てようと決意しました。それまで色々と幼いなりに経験をする中で、世の中おかしい、何か間違っている、このままではいけない、何とかしなければ、と思ったのです。この世にはかつて、堯(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)といった聖人達や、周(しゅう)の文王(ふんのう)、周公(しゅうこう)旦(たん)という偉大な人物が平和な世の中を築き守るために尽力した、という話も聞いていました。その人達のことや何を為せば良いのか、といったことを知りたい。そう思って学問の道に進む決心をしたのです。

 それから十余年、只管(ひたすら)勉学に打ち込んで、三十歳の頃には何とか学者として自活できるようになりました。ぽつりぽつりと弟子入りしてくれる人も現れてきました。

 学問の研鑽(けんさん)は休むことなく続けていましたので、四十歳の頃には、正しい在り方や考え方、これが仁であるか否かの判断など、他人の意見に惑わされることもなくなり、自分の判断を貫けるようになりました。

 あの頃が私の人生の最盛期だったのかも知れませんね。そうして齢(よわい)五十にもなった頃、ようやく私の天命がわかりました。十五歳で学に志して以来、そのときまで只管学び習い努めてきたことが、それで善かったのだ、このまま天を信じて、天が私に求めている使命を果たして行けば善いのだ、と確信が持てたのです。それからも唯々(ただただ)前向きに直(ひた)走ってきたなあ、と思います。

 還暦を迎(むか)えた頃になって、ようやく立ち止まることができるようになったようですね。直走っていたときには、他人(ひと)も自分も正しく生きることができているのか、如何(どう)すればよりよくなるのか、ということばかりに心が行っていましたが、立ち止まることができてみると、人の思いがそれまで以上に素直に感じられ、わかるようになりました。

 そして七十になった今、ようやくやっと、ですな。これまでは、気が緩(ゆる)んでつい間違った行動をしてしまう、ということがないように、四六時中気を張っていました。今、ようやくやっと、気の張らない素直な自然のままで、正しい在り方から外れないで居れる心になれました。思えば、十五歳で志を立ててから、五十年以上の年月がかかっているのですねえ。皆にも散々に迷惑をかけて、助けてもらいましたね。・・・感無量です。

 

☆ 補足の独言

 もし孔子が詳(くわ)しく語ったとしたらこんな内容だったのではないのかな、という私の感傷的な幻想を綴(つづ)ってみました。勿論、孔子は寡黙(かもく)なので、こんなことは思っていても言いはしないでしょうが。