2 為政第二 9

Last-modified: Tue, 08 Jun 2021 10:59:04 JST (1061d)
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☆ 為政第二 九章

 

 子曰 吾與回言終日 不違如愚 退而省其私 亦足以發 回也不愚

 

 子曰く。吾(われ)、回(くわい)と言(ものい)ふ。終日(しゅうじつ)、違(たが)はざること愚(ぐ)なるが如(ごと)し。退(しりぞ)きて其の私(わたくし)を省(かえり)みれば、亦(また)以て発(はっ)するに足(た)れり。回や愚ならず。  

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生がとても嬉しそうに言われました。

 回(かい)ちゃん(顔回、顔淵)は凄(すご)いね。ありゃあ本真者(ほんまもん)やわ。朝から晩まで一日中喋っとっても、ただ頷(うなづ)くだけでなーんも言いよらん。賜(し)ーちゃん(子貢)やったら何やかんや言うてきて、うるそおてかなわんところやがな。まあ、ええ質問ばっかりしよるけんどな。普通のもんが見たら、回ちゃん、あほちゃうか、としか思えへんで。そやけどちゃうねんな。よお見たらわかるんや。普段の立ち振る舞いを見てみ。非の打ち所がないで。礼に外(はず)れたことも信に悖(もと)る言動も、誰も見たことも聞いたこともないやろ。ほんでもって、ちょくちょくはっと気付かされて、こっちが吃驚(びっくり)するような言動があるしなあ。「温故知新(おんこちしん)」(為政第二、十一章)ができとるんやな。「故(ふるき)」ちゅうのが私(わい、孔子)の教えたことで、「新(あたらしき)」ちゅうのが自分で見つけ出しよった本真者の自分のこっちゃ。回ちゃんは、わいの言うことをよお理解して、自分の中でよおあっためて、自分のもんにし切ってから行動しよる。そやさかい、回ちゃんの行動は自然で光るもんがありよる。それを「発」ちゅうんや。

 どや。回ちゃんが並々ならん奴や、ゆうことが、よおわかったやろ。

 

☆ 補足の独言

 というような、嬉しくてたまらない、誰彼(だれかれ)に自慢したい気持をぐっと抑えて、婉曲(えんきょく)で控(ひか)えめに表現したのがこの章の文章だと思います。

 この孔子の言い草をそのままにとると、孔子は顔回に対して、もしかしてこいつ本真にあほなんと違うのか、という不審を抱いたので、こっそり観察してみたら、そうではないと解った、という意味になります。これは全くあり得ない、考えられない話です。つまり孔子が大嘘をついている、ということになります。そんな訳(わけ)はないので、これは婉曲表現なのだと解る訳です。

 孔子の顔回に対する余りにも大きな喜びの感情が、言葉通りにとれば嘘(顔回の賢を疑った、という嘘の作り話)になる言い方で以て表現されている、ということですね。