3 八佾第三 24

Last-modified: Thu, 05 Aug 2021 18:26:54 JST (1002d)
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☆ 八佾第三 二十四章

 

 儀封人請見曰 君子之至於斯也 吾未嘗不得見也 從者見之 出曰 二三子 何患於喪乎 天下之無道也久矣 天將以夫子爲木鐸

 

 儀(ぎ)の封人(はうじん)、見(まみ)えんことを請(こ)ひて曰(いは)く、君子(くんし)の斯(ここ)に至(いた)るや、吾(われ)未(いま)だ嘗(かつ)て見(まみ)ゆることを得(え)ずんばあらずと。従者(じゅうしゃ)之(これ)を見(まみ)えしむ。出(い)でて曰(いは)く、二三子(にさんし)、何(なん)ぞ喪(さう)を患(うれ)へんや。天下(てんか)の道(みち)無(な)きや久(ひさ)し。天(てん)将(まさ)に夫子(ふうし)を以(もっ)て木鐸(ぼくたく)と為(な)さんとす。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 孔子一行が亡命の流浪の旅に出た始め頃のことと思われますが、こんな嬉しい出来事がありました。

 衛(えい)の国の儀(ぎ)という田舎の邑(むら)に来たときのことです。この儀の邑の国境警備のお役人が、ひょっこり訪(たず)ねてきました。そして外で屯(たむろ)していた(失礼!)弟子達に言うことには、

 私は心の大きな立派な人を衷心(ちゅうしん)より尊敬しお慕(した)い申しております。今までもそのような君子がここ儀の邑にお越しになられましたが、唯(ただ)の一度たりとてそのお方にお目通り願って薫陶(くんとう)を受ける、ということをしなかったことはありません。私の見るところでは、君達のお師匠さんも間違いなく桁外(けたはず)れに大きなお方とお見受けします。何卒(なにとぞ)お目通りの便宜(べんぎ)を図(はか)って戴(いただ)いて、ご高説を賜(たまわ)れますように宜(よろ)しくお願いします。

 ときたものですから、弟子達は面食(めんく)らいましたが、どう見ても律儀(りちぎ)で誠実そうで、何も危険はなさそうなので、

 ああはい、いえ、どうぞどうぞ、と先生のところに案内しました。そして、

 何だあれは。変わった人だなあ。でも善い感じの人だったね。うん、あの人も只者(ただもの)ではないぞ。隠者(いんじゃ)かも知れん・・・などと好き勝手に駄弁(だべ)りながら、興味津々(きょうみしんしん)で待っていました。

 暫(しばら)く経(た)って、儀の邑のお役人はこれ以上はないといった満足気(まんぞくげ)な笑顔で出てきました。そしてこんな素晴らしいことを言ってくれたのです。

 君達、孔先生のお弟子さん達よ。先生が追放されたことを嘆いているようですが、それは間違いですよ。天下に正しい道が行われなくなってもう随分の年月が経ちます。魯の国だけの無道を正したところで、簡単に天下に道が復活する訳ではありません。今本当に必要なのは、天下に正しい道を伝え広めること、本来の人の道を恢復(かいふく)させることです。そのためには、魯国に留(とど)まっていてはいけません。追放は天の命(めい)なのです。役人が国の施策を木鐸(ぼくたく)を鳴らして知らせるように、孔先生は天の命である正しい道の在り方を天下に伝える役割を、天命として授かったのです。先生は五十歳の頃にそのことが解られたのだそうですよ。先生は「天の木鐸」です。何時でも必ず天が守ってくれています。何があっても大丈夫です。君達、安心して先生について行って、確りと薫陶を受けなさい。

 弟子達はその後(のち)様々な困難が襲ってくる度に、この変なお役人の言葉を思い起こして、切り抜けていけたのだそうです。

 

☆ 補足の独言

 「史記」の「老子伝」の元になった伝説は若しかすると、この章に肖(あやか)って発想された論語(孔子)批判の物語なのではないか、と自分の妄想を逞(たくま)しくして楽しんでおります。中央の政治権力抗争の中で挫折して、今は函谷関(かんこくかん)の関守(せきもり)をしている尹喜(いんき)の所に、中央から世を捨てるためにやってきた偉大なる君子である老子。関守の尹喜と儀(ぎ)の封人(ほうじん)、君子老子と君子孔子。構図が能く似ていて面白いなと思います。