4 里仁第四 16

Last-modified: Sat, 25 Sep 2021 18:38:16 JST (951d)
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☆ 里仁第四 十六章

 

 子曰 君子喩於義 小人喩於利

 

 子曰く、君子は義(ぎ)に喩(さと)り、小人(せうじん)は利(り)に喩る。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が言われました。

 人間の心というものは小さいものです。小さいというのは、視野が狭いということでもあります。人間が本能として有(も)っているものが、生きていくための欲望です。この慾望は、自分のことしか考えることができません。今目の前に在るものだけが目に入って、気に入ったら飛びつくか、厭(いや)だったら逃げるかするだけです。その結果が如何(どう)なるか、ということは視野に入らなくて、考えることもできません。

 君子というのは、心の大きな人のことです。心が大きいというのは、視野が広くて先の先まで見通せて、深く考えることができるということです。広く先を見通せば、他者(ひと)が視野に入ります。それ故に、皆を無視して自分だけが巧くいくなんてことはあり得ない、とわかります。そのように他者が目に入ることによって、思い遣りが育つのです。ですから、君子を目指して確(しっか)りと学び習いて、心の視野を広くしていって下さい。

 さて心の視野が広がると、目先の利益が深い喜びを生むものではないということがわかります。自分に本当の深い喜びを齎(もたら)せてくれるのは正義です。正義とは、自分の心が納得のいく、広い視野による思い遣りの気持ちから出てくる、愛に因る判断と行動なのだ、とわかります。

 心の小さな視野の狭い人の正義は、独り善(よ)がりな思い込みですから、押しつけられると凶器(きょうき)にもなりかねません。戦争や諍(いさか)いの元にもなりますね。それに対して、心の大きな視野の広い人の正義は、和を齎せるのです。

 そんな訳ですから、このように言っても善いですかね。

 心の大きな視野の広い人は、何事に対してもそれが正義か否か、ということを敏感に察知して対応します。心の小さな視野の狭い人は、如何(どん)なことにも、損か得かという計算が先づ働いてしまうので、簡単に詐欺(さぎ)にも引っ掛かってしまいます。

 

☆ 補足の独言

 孔子は「君子(くんし)というのは心の大きな人、小人(しょうじん)というのは心の小さな人。そして人の心は本来小さなものであり、学習、学びて習うという努力に因って君子になる。その指導をするのが教育である。」と考えていた、という私の考えでこの章を訳してみました。