4 里仁第四 26

Last-modified: Sun, 21 Nov 2021 19:05:45 JST (894d)
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☆ 里仁第四 二十六章

 

 子游曰 事君數 斯辱矣 朋友數 斯疏矣

 

 子游(しいう)曰く、君(きみ)に事(つか)ふるに数(しばしば)すれば、斯(ここ)に辱(はづか)しめらる。朋友(ほういう)に数すれば、斯に疏(うと)んぜらる。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 子游(しゆう)が、自分の弟子達に言いました。

 私は若い頃孔先生に出会って以来、先生の教えを只管(ひたすら)学び実践してきました。先生は「学びて時に之を習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや」(学而第一の一章)と言われましたが、正(まさ)にその通りで、その教えを実践することで、充実した日々を送り、有頂天になっていました。ところが孔子学園の学友達はそんな私を嫌って避けるのです。如何(どう)して皆と仲良くやっていけないのか、と悶々(もんもん)としていました。そんなときに先生が声をかけてくださったのです。

 先生は言われました。

 偃(えん)ちゃん(子游)や、貴方も孰(いづ)れ官職に就くことでしょう。そのとき王さんが間違ったことをしたならば、「君に対する臣の務め」として、お諫(いさ)めしなければならないこともあります。しかしそれをしても王さんが間違った行動を改めてはくださらないこともあるでしょう。その場合には、そのことに対して王さんは、間違いを正す心算(つもり)がない、ということを示している、と理解せねばなりません。それも分からずに進言を繰り返していると、必ずや睨(にら)まれ嫌われて、無実であろうとなかろうと大恥を搔かされて、左遷されたり首になったりもする、ということにもなりかねません。

 友達に対しても同じことです。貴方は真面目に誠実に一生懸命努力して礼をきちっと身につけようとしていますが、そうではない者もいますね。間違った礼を行っていたり、ええ加減であったりする者もいるでしょう。そのような友に、一度は忠告することが思い遣りですね。然しそれでも間違いが正されなかったならば、それはその友に自分の非を正す心算がない、ということです。それを理解しないで忠告を繰り返していたならば、必ずや疎(うと)まれ嫌われて、孤立してしまいます。どんなに正義であっても、相手の性格や気持ちを理解せずに押しつけていては、決して上手くはいきません。

 私は先生のこの言葉を守って、白黒が正論通りには通らない、ややこしい人間関係を何とか乗り越えてきたのです。

 

☆ 補足の独言

 この章は、孔子が子游個人に対して忠告したことを、子游が確(しっか)りと守ってきて、それを自分の弟子達に語った言葉なのではないか、と思い、このような物語にしてみました。