4 里仁第四 25

Last-modified: Wed, 10 Nov 2021 12:01:39 JST (905d)
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☆ 里仁第四 二十五章

 

 子曰 德不孤 必有鄰

 

 子曰く、徳(とく)は孤(こ)ならず、必(かなら)ず隣(となり)有(あ)り。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が言われました。

 人に接するときに大切なのは、何事に於いても思い遣りの心をもってすることです。思い遣ると言うことは、相手を理解するということです。人にとって、自分のことを理解してもらえるほど嬉しいことはありません。そして、そのようにわかってくれる人とは、お近づきになりたくなるのが自然です。徳、すなわち思い遣りの対応ができていれば、必然的に周りに人が集まってきてくれるのです。

 とは言っても、寂しいから、皆に寄ってきてもらいたいから徳を行う、思い遣りをかける、というのでは、本末転倒です。心の大きな人は、他人(ひと)がわかってくれなくても嘆いたり不満に思ったりはしません。(学而第一の一章・十六章、里仁第四の十四章他) 自分が徳を行えていたら、つまり、相手を理解するということができていさえするならば、それだけで善いのです。認めてもらうことや見返りを期待していては、徳も理解も偽物(にせもの)、偽善でしかなくなります。ただ素直に徳を行えていたならば、自(おの)づと人は認めてくれて、寄ってきてくれるものです。安心して修業に励(はげ)んでください。

 

☆ 補足の独言

 私には、孔子が「徳は孤ならず」というような一面的な楽天的思いを懐(いだ)いているとは思えません。周囲が悪い心の持ち主ばかりだったら、徳を行えば行うほどに孤立無援になっていく(例えば八佾第三の十八章)、ということを嫌と言うほど体験してきている筈です。これにめげずに耐え抜いていくことは、並や大抵のことでできることではありません。孔子はそれを乗り越えてきたのです。恐らく、精神力の弱い弟子がめげそうになっているのを支えるために言った言葉なのではないでしょうか。