4 里仁第四 8

Last-modified: Thu, 09 Sep 2021 11:30:31 JST (967d)
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☆ 里仁第四 八章

 

 子曰 朝聞有道 夕死可矣

 

 子曰く、朝(あした)に道(みち)有(あ)るを聞(き)けば、夕(ゆふべ)に死すとも可なり。

 

☆意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が言われました。

 私は十五歳から、只管(ひたすら)真実の道を求めて学問に励(はげ)んで来ました。その頃は「真実の道さえ知ることができたなら、もう何時死んでも構わない。それまでは絶対に死ねん」という気持でしたね。そのようにして生きてきて、三十歳四十歳と、少しづつ道というものが見えてきました。五十歳になってようやく確信が持てるようになり、この真実の道を実現することこそが、天から私に与えられた使命なのだ、と解ったのです。

 それで、先づ我が魯国で道の実現、改革に取り組みました。が、結局失敗に終わりました。それで私は道の実現を果たすために、その場を求めて放浪の旅に出ました。しかし実情は何処(いづこ)の国も同じようなものでした。幾ら真実の道を説いても、個人の欲望が必ず道の実現を阻(はば)みます。日暮れて道遠し(史記列伝の伍子胥(ごししょ)の言葉ですが)。私が実現することができなくても、せめて何処(どこ)かで誰かが実現してくれなければ、死んでも死に切れません。

 ああ、何処かで正しい道が実践されていて、民がしあわせに豊かに暮らしている、という話は聞けないものか。若しそうだとわかれば、私はもう何時死んでも満足です。それだけが私の夢であり願いですから。

 

☆ 補足の独言
 理想社会の実現に全生涯を賭けて、超人的に生き抜いてきた孔子です。亡命流浪の旅の終頃には「矢尽き刀折れ」の状態になっていたのではないでしょうか。「我こそは天の命(めい)を受けし者」という責任感で、如何(どん)な苦難をも耐え忍び乗り越えてきた孔子です。流石(さすが)に力尽きてぽろっと出た弱音かも知れないなと思います。しかしまた、この弱音にこそ本心が出ていて、本当に凄いなあと感嘆してしまいます。天命だからこそ頑張ってこれたのです。それが果たせないかも知れないと思ったときに出てきた孔子の願い、それは自分にできなかったことを誰かが果たしてくれ、ということだったのです。孔子の本心は、自分が成し遂げることにあるのではなく、道が実現することにこそあったのですね。ですから旅を終えて後(のち)の孔子は、誰かにそれをやってもらうために、弟子の育成に力を注いだのではないでしょうか。