7 述而第七 21
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☆ 述而第七 二十一章
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子曰 三人行 必有我師焉 擇其善者而從之 其不善者而改之
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子(し)曰(いは)く、三人(さんにん)行(ゆ)けば、必(かなら)ず我(わ)が師(し)有(あ)り。其(そ)の善(ぜん)なる者(もの)を択(えら)びて之(これ)に従(したが)ひ、其の善(よ)から不(ざ)る者は之を改(あらた)む。
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☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)
先生が言われました。
人が何人か集まって一緒に行動すれば、その中で必ず大切な学びがあります。人数はどんなに少なくても良いのですが、独りでは駄目です。この学びというのは、友といるだけなのに、師匠に附いて学ぶことと同じである、と言って良い程の大きなものです。
学びを得るためにはこうすれば善いのです。
人は皆誰も、長所と短所を有(も)っています。共に歩(あゆ)んでいて、その人の長所が見えたならば、その人に従い見習うのです。これだけでもとても良い勉強になり、自分を大きく成長させることができます。
そして短所が見えたときには、我が身を確りと省みて、自分にも同じような欠点がないだろうか、と能く能く探ってみます。そういうものが見付かったときには、その欠点を恥と思って隠したり取り繕(つくろ)ったりということなどをせず、素直に自分を改めれば善いのです。そのようにすれば、共に行く相手の人が何時でも師として自分を高めてくれる人になってくれるのです。
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☆ 補足の独言
今は誰でも知っていて、当たり前のこととしてしか思われず、軽(かろ)んじられているように思えるのですが、いざ実践しようとすると、これが如何に難しいことであるかがわかります。相手の長所を見たとき、それが長所と気付かない。面倒臭(めんどくさ)いから従わない、取り入れない。逆に嫉妬していぢけるか敵対する。また短所を見たときには、相手の問題とのみ考えて、非難軽蔑(けいべつ)攻撃などの感情や行動になってしまい、我が身を省みる、ということを忘れてしまう。これが小人(しょうじん)の小人たる所以(ゆえん)でしょう。この並大抵でないことを、特定の師を持たない孔子は、常に心掛けて己を成長させてきたのでしょうね。
「三人行」は、複数の少人数で一緒に行(ゆ)く、或いは一緒に行(おこな)う、乃ち一つことに共に関わり合って共同で作業する、という意味に理解して訳してみました。
普通「一・二・三」は「一・二・沢山」の意味になりますが、此処での「三」は複数乃ち二以上を指すと理解す可きだと思います。一は自分独り。二は他者と二人。三は他者二人と自分。しかし三には「沢山」の意味があります。二にはその意味がありません。それで、複数の意味で三とした、と考えてみました。