7 述而第七 5

Last-modified: Fri, 04 Aug 2023 18:11:33 JST (273d)
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☆ 述而第七 五章

 

 子曰 甚矣 吾衰也 久矣 吾不復夢見周公

 

 子(し)曰(いは)く、甚(はなは)だしいかな、吾(わ)が衰(おとろ)へたるや。久(ひさ)しいかな、吾(われ)復(また)夢(ゆめ)に周公(しうこう)を見(み)ず。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生の晩年、お亡くなりになる少し前のことでした。

 先生が言われました。

 嗚呼(あゝ)何と嘆かわしいことだろう。私も到頭老いさらばえてきてしまったようだ。何時も夢でお会いしていた、私の最も尊敬する周公旦(しゅうこうたん)に、もう長らくお会いしていない。

 夢は普段心に掛けている強い思いが出てくるものです。私は、史書や様々な文献を通して周公旦と出会い、この人こそ我が師匠と思い定め、徹底的に学び研鑽(けんさん)してまいりました。そこまで徹底して学んでいると、周公旦は、夢に出てくれるようになりました。学んで知っていることなのに、うっかりと気付かずに悩んでいたりすると、夢に周公旦が現れて教えてくれるのです。私はこうやって周公旦に支えられ導かれて、様々な苦難を乗り越えてきました。それは私の生命力、前向きに生きる意志の力があってこそできたことです。周公旦が夢に出てくれなくなった今、自分の老いを自覚せざるを得ないですね。でも、望むことが許されるならば、もう一度、もう一度周公旦にお会いしたいです。

 

☆ 補足の独言

 孔子は夢を能く理解し、大切に人生に取り入れて、寤寐(ごび)(起きている時と眠っている時)を豊かにしていたのだなあ、ということが窺(うかゞ)えます。孔子は、理想という意味の「夢」を、決して諦(あきら)めることなく求め続けた人です。「夢に生きた人」「夢を生き抜いた人」と言えるでしょう。しかしこの章の記述からは、それだけではなかったのだ、ということが解ります。寝ているときも、眠って見る「夢」を決して疎(おろそ)かにせず、その夢の意味を能く考え、深く理解して、行動や思索の指針にしていたのです。

 夜見る「夢」を大切にして、夢の言わんとすることを能く考えてみて、そこから現実を改めて省(かえり)みる。C.G.ユングという心理学者の言うには、こうすることに因って意識と無意識の調和が巧く取れて、豊かな人生が送れる、ということなのだそうです。孔子はユングより二千四百年も前に、既にそのことを知っていて実践していたのです。

 「寤(さ)むれば夢を追いかけて、寐(ねむ)れば夢に助けらる。」(寤(さ)めているときは夢を追いかけて、寐(ねむ)っているときは夢に助けてもらう。)「寤寐(ごび)夢に生きる。」(寝ても覚めても夢に生きる。)これが孔子の偉大さの源泉だったのです。

 「不復(ふたゝびせず)」という言葉には、人生の終わりを迎えて、最後の願いが聞き届けられないと解っている、切なさというのか何というのか、そんなのとは違う、総ての終わりである死を受け容れる峻厳(しゅんげん)さと言って良いのか。言葉が見付かりませんが、何か心の奥の、最も深い感情が響いてきます。これこそが、惜(お)しみなく総てを出し切って十全に生き切った孔子の「静かな死」なのでしょうか。

 釈迦(しゃか)然(しか)り、孔子然り。心残りなく生き切った人の死は、爽(さわ)やかですね。六道輪廻(りくどうりんね)(地獄のような現実の苦しい世界)から抜け出る、というのはこういうことなのでしょうかね。