7 述而第七 4

Last-modified: Tue, 01 Aug 2023 23:58:24 JST (275d)
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☆ 述而第七 四章

 

子之燕居 申申如也 夭夭如也

 

子(し)の燕居(えんきょ)するや、申申如(しんしんじょ)たり。夭夭如(えうえうじょ)たり。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生は、朝廷での仕事の時には威儀(いぎ)を正して礼に違(たが)わないように張り詰めて、粗相(そそう)のないように尽くしておられました。しかし、退朝(たいちょう)の後(あと)や休みの日には、孔子学園に顔を出して、とても楽しそうに弟子達と語らっていました。その姿はとても伸び伸びとして、身も心も寛(くつろ)いでいるように見受けられました。そして、顔は晴れやかに輝いていて、歳を全く感じさせない、初々(ういうい)しいと言っても善いような安らいだ喜びに満ちていました。

 

☆ 補足の独言

 「燕居(えんきょ)」とは暇(ひま)で寛(くつろ)いで居る様を言う言葉だそうです。

 「申申如(しんしんじょ)」の「申」は「伸」の意味で、伸び伸びとした様。「夭夭如(ようようじょ)」の「夭」は「若い」という意味と「笑う」という意味があるそうです。若々しく喜びに満ちた様、ですね。

「申申如」「夭夭如」という表現は、最も燕居らしい燕居の状態の擬態語(ぎたいご)(オノマトペ)として最高の素晴らしい表現だと思います。要するに孔子は、仕事は美事に隙(すき)なくやってのけ、休みは完璧に寛いで乙張(めりは)りを付けていた、ということなのでしょう。これは一般に有能と言われている人ならば、大抵はそのようですので、態々(わざわざ)書くまでもないことではないか、と思われます。そこで勝手解釈の特権を揮(ふる)いまして、こんな風に妄想を膨(ふく)らませてみました。

 仕事に関して見てみますと、孔子には三つの状況があったのではないか、と思われます。第一は、上級国家公務員として朝廷に出仕する。第二は、孔子学園の校長先生として弟子達と語らう。第三は、仕事を終えて、或いは休みで自宅で過ごす。この「一、朝廷」と「三、家」とを比較したのならば、この章に述べられていることは当たり前のことでしかないことですが、果たして孔子にとって「三、家」が本当に安らぎの場だったのでしょうか。『論語』には孔子の家庭生活の様子は殆(ほとん)ど描(えが)かれていません。偶(たま)に出てきても、そこに「申申如」「夭夭如」という雰囲気は感じられません。立派な家長であり夫であり父である孔子の、義務を誠実に果たしている姿が伝わってくるだけです。

 それに対して「二、学園」は如何(どう)でしょうか。ちゃんと調べた訳ではありませんが、印象として『論語』には弟子との関わりが一番多いように思われます。次いで政治家としての上司との関わり。これには誠意と礼を尽くした立派な態度、仕事としての義務を美事に熟(こな)している孔子の姿が彷彿(ほうふつ)としています。

 さて、問題の「二、学園」ですが、この述而第七の二章で「人(ひと)を誨(おし)えて倦(う)まず。何(なに)か我(われ)に有(あ)らんや。」と言っています。孔子は、勉強することや教えることが楽しくて堪(たま)らない、という趣味の持ち主だったようです。学園で弟子達と語らっているときの孔子は、世間体の見てくれや弟子への優越感など一切なく、唯、心の欲するまゝに楽しんでいたようです。

 「申申(しんしん)」とは、身も心もゆったりとして伸び伸びと寛いでいる様。「夭夭(ようよう)」とは、若々しく生き活きとして満面の笑(え)みを湛(たゝ)えている様。とすると正にこれこそが、学園で過ごしている孔子の姿そのまゝではないですか。

 乃ち孔子にとって仕事とは、第一に朝廷、第二に家、そして安らぐ場所が学園だった、という疑いが浮かび上がってきます。そう理解すると、常人離れした伝説の孔子像に相応(ふさわ)しい解釈が成り立って、夢がまた一段と楽しく膨れ上がってきます。