3 八佾第三 9

Last-modified: Thu, 01 Jul 2021 23:01:51 JST (1037d)
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☆ 八佾第三 九章

 

 子曰 夏禮吾能言之 杞不足徴也 殷禮吾能言之 宋不足徴也 文獻不足故也 足則吾能徴之矣

 

 子曰く、夏の礼は吾(われ)能(よ)く之を言ふも、杞(き)は徴(ちょう)するに足らざるなり。殷(いん)の礼は吾能く之を言ふも、宋(そう)は徴するに足らざるなり。文献足らざるが故(ゆえ)なり。足りなば則(すなは)ち吾能く之を徴(ちょう)せん。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が言われました。

 世間では、夏(か)の末裔(まつえい)の封(ほう)じられた杞(き)の国や、殷(いん)の末裔の封じられた宋(そう)の国の人達は、礼を知らない野蛮な人達だとされて、揶揄(やゆ)嘲弄(ちょうろう)されています。例えば、杞の国の人は、天が落ちてきたら如何(どう)しようと悩み恐れたという作り話で、あり得ないことを心配することを杞憂(きゆう)、杞の人の憂(うれ)いと呼んで馬鹿にしていますし、宋の国の人は偶々(たまたま)切り株にぶつかった兎を捕らえてまた兎がぶつかると思って仕事をしなくなった、等(など)と言って馬鹿にしています。

 私は夏王朝の礼も殷王朝の礼も可能な限り学んできました。そうして、夏の礼も殷の礼も本質は周のこの素晴らしい礼と変わらない、と知ったのです。(為政第二、二十三章)そのことを伝えて、杞や宋に対する偏見を取り除きたいのですが、誰も巷(ちまた)の愚にも付かない作り話を信じて、夏や殷の素晴らしさを理解しようとはしません。

 夏と殷の伝統は杞と宋とに受け継がれているはずなので、杞と宋とを詳しく調べれば、私の言っていることの正しさが解るはずです。しかし実に残念なことに、その証拠となる資料が足りません。その原因は既に文献(文)も殆(ほとん)ど残っていず、証拠の品々(献)も失われ、文化を伝える賢者達(献)もいなくなってしまっているからです。杞も宋も同じ状態です。若しそれらがあれば、私の言っていることの正しさが証明され、杞の国や宋の国の名誉も恢復(かいふく)できるのですがねえ。残念です。実に残念です。

 

☆ 補足の独言

 この章は、表面的に見ると、自分の主張が通らない、つまり自分を解ってもらえないことに

対する不満の歎き、というようにもとれます。しかし、孔子がそのような小人(しょうじん)(心の小さな人)的愚痴(ぐち)を言うはずがありません。

 孔子は何時でも、他者(ひと)のために怒(いか)り他者のために嘆き悲しむ人です。そのような孔子の真骨頂(しんこっちょう)が出ているお話しだなあと思います。

 ・杞憂『列子(れっし)』の話も、守株待兎(しゅしゅたいと)『韓非子(かんぴし)』の話も、孔子より後の時代にできた話です。悪しからず御容赦ください。