4 里仁第四 1

Last-modified: Sun, 15 Aug 2021 14:47:09 JST (992d)
Top > 4 里仁第四 1

☆ 里仁第四 一章

 

 子曰 里仁爲美 擇不處仁 焉得知 

 

 子(し)曰(いは)く、仁(じん)に里(を)るを美(び)と為(な)す。択(えら)びて仁に処(を)らずんば、焉(いづく)んぞ知(ち)たるを得(え)ん。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が言われました。

 人には心の拠(よりどころ)となる古里(ふるさと)のような居場所が、各自の心の中に在ります。その居場所が仁、乃(すなわ)ち他人(ひと)を敬愛し、思い遣り、尽くすという心であれば、それが最も美しく素晴らしいことですね。

 仁の心に里(お)るのは、自(みずか)らの意志にて行う作業です。自分の心がそうあることを望まず撰ばないようであれば、その人はとても賢いとは言えない、明瞭(はっきり)言って愚かな情けないことですね。

 

☆ 補足の独言

 孔子の用語の中で最も重要なものは「仁(じん)」でしょう。この言葉の意味するところは余りにも深くて、他(ほか)の言葉ではとても言い表すことができず、置き換え不可能である、と言われています。果たしてそうでしょうか。私はそうは思いません。「仁」という言葉は、「思い遣り」という言葉で十全に置き換えることができます。

 私は以前に他の著書で、「カウンセリングマインドとは思い遣りである」と書きました。そこで言っているカウンセリングマインドこそが「仁」なのです。

 「思い遣り」というのは、それこそ深いものです。これほど実践の難しいものはそうそうありません。思い遣りというのは、自分の思い、乃ち相手への愛情からの心使いを相手に遣る、つまり相手に真っ直ぐに向けて、その思いを実践することです。相手に善かれと思うことを、自分を置いておいて、その人のために行うことです。そのとき、相手が如何(どう)思っているのかを正しく理解していなければ、その思い遣りは有り難迷惑なお節介になってしまいます。また時には、相手の願い通りに援助をすることで、その人をもっと窮地に追い込んでしまうということも起こりかねません。それではとても思い遣りとは言えないことになってしまいます。思い遣りを実践するためには、本当に相手のためになるには如何すれば善いのか、その人の現状を能く理解し、広い展望で以て後先(あとさき)のことも能く考えて、自分が責任を持って決断して行わなければなりません。

 孔子が「仁」という言葉で言わんとしているのはこういうことだと思うのです。

 

 自分の心の中に「仁(思い遣り)」を有(も)つことが一番大切なことですよ。

 そしてその「仁」は、自分の意志で有(も)つものですよ。

 

 これが孔先生の一番言いたかったことだと理解していた弟子達は、この篇の冒頭をこのお話で飾ったのではないでしょうか。