4 里仁第四 2

Last-modified: Tue, 17 Aug 2021 17:27:40 JST (990d)
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☆ 里仁第四 二章

 

 子曰 不仁者不可以久處約 不可以長處樂 仁者安仁 知者利仁

 

 子曰く、不仁者(ふじんしゃ)は以(もっ)て久(ひさ)しく約(やく)に処(を)る可(べ)からず。以て長(なが)く楽(たのしみ)に処る可からず。仁者(じんしゃ)は仁に安(やす)んじ、知者は仁を利(り)す。

 

☆意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が言われました。

 仁(じん)、乃ち思い遣りがどれほど大きく大切なものかわかりますか。他者(ひと)を思い遣る心がなければ、貧乏や無理解、孤立といった劣悪な環境には、とても長く居れるものではありません。自分の悲惨な境遇を歎(なげ)き絶望したり、周(まわ)りの人達がしあわせに見えたり加害者に思えたりして、羨(うらや)みや恨(うら)みで一杯になり、もっともっと自分の心を痩せ細らせて、耐え難くなってしまうでしょう。それは他者(ひと)を思い遣れず、自分の慾望を叶えることばかり考えているからです。自己中心的、所謂(いわゆる)自己中と呼ばれるような狭い心と狭い視野でしか現実を見ることができていないから、ということです。

 このような人は、楽で楽しいしあわせな環境にも長く留(とど)まることができません。いつでも自分のことしか考えてないので、何時このしあわせが奪われるか、他(ほか)の人はもっと得(とく)したり楽したりしているのではないか、と常に疑心暗鬼に苛(さいな)まれているからです。正(まさ)に自己中の小さな心から発する狭い視野の為(な)せる業(わざ)だと解りますね。

 心を広く大きく有(も)てば、他(ほか)の人が視界に入ります。ゆったりとした大きな心の理想的な在り方は、視界に入った人達それぞれに思い遣りの目を向けて看ることです。そして視界を外れた見えない世界に対しても思い遣りの心を馳せることです。世界は総てのものが関わり合って和を形成しています。そのことが実感をもって理解できたならば、どの様な事態にも惑わされ揺らされることはありません。これが「仁に安んじる」ということです。これが仁者の姿です。

 以前(前章)に言った「仁(じん)に里(を)る」というのはこういうことをいうのです。心が広くなれば、自然と自分の中に仁という古里(ふるさと)ができるものなのです。

 仁者とはこのようなものだ、と知ってはいるけれど、実践できるまでには未(ま)だ心が大きくなって安定するまでには至っていない、ということであれば、何時も精一杯仁者に近づく努力をしていれば善いですね。仁の心はあらゆることに於いて有益です。ですから仁者への努力をするだけで、大きな益が様々に得られます。そうであればそれは知者と言えるでしょう。しかし、仁者と知者には遙かな隔(へだ)たりがある、ということは心得ていてください。仁者は自分の益のことなど考えません。利を思う内は未だその仁は本物ではない、ということです。

 

☆ 補足の独言

 この章は前段と後段との文体が全く違うので、初めは、二つに分けて、「また或る時先生はこうも言われました。」として後段を始めようかと思っていました。が、書き進んでいる内に自然と繋がってきたので、そのまま一つのお話しにしました。