4 里仁第四 3

Last-modified: Sun, 22 Aug 2021 12:52:31 JST (985d)
Top > 4 里仁第四 3

☆ 里仁第四 三章

 

 子曰 惟仁者能好人 能惡人

 

 子曰く、惟(ただ)仁者のみ能(よ)く人を好(よみ)し、能く人を悪(にく)む。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 人を正しく評価する、ということはとても難しいことです。普通、心は小さいものです。小さな心ということは、自己中心的ということです。自己中な心は、我が身を守ることと我が身の都合を一番に考えます。自分の意に沿わないことに対しては理性は非常に働き悪(にく)くなります。無意識内(うち)に、自分に都合の良い人を感情的に善い人と思い込み、自分に都合の悪い人を感情的に悪い人と思い込んでしまうからです。つまり人は自分勝手な都合で他人(ひと)を好(この)んだり憎んだりしてしまうものなのです。そこには正当性はありません。

 思い遣りをもって正しく生きている人が好(す)かれ、自己中に不正を行う人が嫌われるのが、正しい世の中の姿です。

 正しく人を好み正しく人を憎む、ということは、憖(なまじ)な気持でできることではありません。君子と言える程度の心の大きさでは、未(ま)だ感情で判断を誤る恐れがあります。仁者といえるまでになって初めて、心の欲するままに従って、正しく好み正しく怒ることができるのです。

 嘘や誤魔化しのない素直な感情が素直に出せる、ということが最も善いことなのですが、これは本当に難しいことなのだ、ということを心していないといけません。

 憎む可き人を好んだ場合は、不公平な依怙贔屓(えこひいき)となって、様々な問題を引き起こす原因となり、信頼関係を崩すことにもなりかねません。が、まあその程度の害で済むでしょう。

 しかし、好むべき人を自分の心の狭さ未熟さでもって憎んでしまった場合には、取り返しのつかないことになってしまいます。それは無実の罪、冤罪(えんざい)を着せられるのと同じです。間違えて憎めば、その人の社会的生命を奪ってしまうことにもなりかねないことなのです。

 人を憎むということは、決して生半可(なまはんか)な気持で行ってはならない、余程慎重に自分の心を見詰めて検証した上でないとできないことなのだ、ということを確(しっか)りと心して下さい。

 

☆ 補足の独言

 孔子はよく君子と小人とを比較して述べています。ところがこの章では、「仁者のみ」と述べています。小人とは、大多数を占める心の小さな人のことです。その小さな心を努力して心を大きくすることができた人のことを君子と呼びます。ここで仁者と言っているということは、心の大きな君子であっても未だ小さ過ぎる、ということでしょう。

 また孔子にとって、自分の心に正直であること、自分にも他人(ひと)にも嘘をつかないこと、ということがとても大切なことです。

 相手を悪く思い悪く言う、ということは、礼に反し仁からは遠いことです。自分の感情に正直であり且つ間違った非難をしない、というのは至難の業です。本当に正しく観れるようになるまでは、礼に反する言動が出ないように自分を制御する必要があります。孔子自身が完全にそれができるようになったのが七十歳のようですから、この戒(いまし)めは生涯孔子自身が自分に課していたものであろうと思います。