4 里仁第四 24

Last-modified: Fri, 05 Nov 2021 17:23:01 JST (910d)
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☆ 里仁第四 二十四章

 

 子曰 君子欲訥於言 而敏於行

 

 子曰く、君子(くんし)は言(ことば)に訥(とつ)にして、行(おこなひ)に敏(びん)ならんことを欲(ほっ)す。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が言われました。

 人は心を大きくすることこそが大切です。そうできている人を君子と言いますが、そうなるためには、先づ口下手であることが必要です。流暢(りゅうちょう)に巧みな話術でもって話をしている人を見ると、「立派な心の大きな人だなあ」と思わせられますが、そうではありません。言葉の巧みさは、心の大きさとは関係ないのです。否(いや)、逆が言えるくらいです。心が小さいと、視野も狭いですね。一本の筋だけを理解して素早く屁理屈を構築することは、誰にでも容易にできることです。しかし、心が大きくなると、そうはいきません。視野が広がるために、様々な視点が目に入って、何事も「白でなければ黒だ」と簡単に言えるものではないと解ってきます。心が大きいほどに、結論を出すまでに時間がかかってしまうのです。

 賜(し)ーちゃん(子貢)などは、実に弁舌爽(さわ)やかで而(しか)も視野も広いですね。しかし賜ーちゃんがもっと朴訥(ぼくとつ)になれたならば、もっともっと深く道を極められるようになるでしょう。そこが賜ーちゃんが如何(どう)しても回ちゃん(顔回)に及ばないところですね。

 しかしまあそんなことよりも、君子として一番大切なことは、行動が機敏である、ということです。幾(いく)ら口達者に「ご尤(もっと)も説」を繰(く)り広げることができていても、行動が伴っていなければ、屁の突っ張りにもなりません。機に応じた適切な行動が速やかにできて初めて、他人(ひと)の役に立つことができるのです。この点は、由(ゆう)ちゃん(子路)も賜ーちゃんも回ちゃんも合格ですね。

 能く考えるが故に腹が据(す)わって口重く、思い遣りの配慮あるが故に機敏に尻軽い。このようであって初めて君子と言えるのです。

 

☆ 補足の独言

 生前の河合隼雄先生の講演を聴いたときの話ですが、先生は「講演が上手な人はカウンセリングは下手だ。カウンセリングが上手(うま)くできる人は講演が下手だ」という意味のことを言われていました。我々若輩者の間では、河合先生はカウンセリングも講演もピカ一として有名でしたから、「例外の先生が言っても今一説得力がないよなあ」と楽しく笑い興じていました。懐かしい思い出ですが、河合先生の言われていたことは、この章の孔子の言葉と同じなのですよね。一般論として、全くその通りだと思います。

 一般的には「口下手でも」という感じの訳が多いようですが、それだと、「行いに敏でさえあれば、口下手であってもなくても問題はない」という感じになってしまいます。それでは孔子の思いとはちょっとずれてくるのではないでしょうか。勿論「行いに敏」ということが一番です。しかし孔子は「言に訥」ということも、もっと重要なこととして捉えていたのではないのか、と思うのです。そういう思いから、このように訳してみました。