4 里仁第四 5

Last-modified: Tue, 31 Aug 2021 17:50:31 JST (976d)
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☆ 里仁第四 五章

 

 子曰 富與貴 是人之所欲也 不以其道 得之不處也 貧與賤 是人之所惡也 不以其道 得之不去也 君子去仁 惡乎成名 君子無終食之間違仁 造次必於是 巓沛必於是

 

 子曰く、富(とみ)と貴(たっと)きとは、是(こ)れ人の欲(ほっ)する所(ところ)なり。其の道を以てせざれば、之(これ)を得(う)るも処(を)らざるなり。貧(まづ)しきと賤(いや)しきとは、是(こ)れ人の悪(にく)む所なり。其の道を以てせざれば、之を得るも去らざるなり。君子(くんし)は仁を去りて、悪(いづ)くにか名を成さん。君子は終食(しゅうしょく)の間(あいだ)も仁に違(たが)ふこと無し。造次(ざうじ)にも必ず是(ここ)に於てし、顚沛(てんぱい)にも必ず是に於てす。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生が言われました。

 富や財産と名誉名声や社会的地位といったものは、誰もが欲するもので、大きいほどに嬉しいものですよね。しかし一番大切なことは、生きていく上で正しく悔いのない生き方を全(まっと)うすることです。真っ当な道を外れずに正しく生きていく中で、運良く富や地位が得られたのであれば、それらを喜んで受け取れば善いでしょう。でも、不正な道を外れた手段で以て、騙(だま)したり利用されたりして得られたものであるならば、決して受け取ってはなりません。

 また、貧乏であったり身分低く蔑(さげす)まれたりされるのは、誰しも嫌(いや)がって当然のことです。当然その様な境遇からは逃げ出したくなりますね。しかし、貧乏や見下される境遇から抜け出せる機会が得られたときに、若しもその手段が道を外れた不当なものであったならば、それによってそこから出ようとすることは間違っています。心の安定した、道理の実践できる人であるならば、そのとき平気で貧乏や蔑みの境遇に安住して居れるのです。

 何時でも、今自分が対応している相手の人や、この世で共に生を営んでいる人達のことを思い遣り、安定した大きな心でものを観ることができる人のことを君子と言い、自分の利害しか考えることのできない心の小さな人のことを小人と言うと繰返し言っておりますが、このようであってこそ初めて君子と呼べるのです。

 改めてもう一度言いますね。君子は、道理に外れた不正な金品(きんぴん)栄達(えいたつ)は受け取りません。同様に、幾(いく)ら不当な理由で貧賤(ひんせん)逆境に陥(おちい)っていても、正当な手段や手続きを経てでない限り、その悲惨な境遇から抜け出すこともしません。不当に陥(おとしい)れられたのだから不当な方法で抜け出しても当然ではないか、と考えるようでは未(ま)だ未だ小人ですよ。

 君子というものは、仁の実践を心掛け続けていてこそ、その名に相応(ふさわ)しいものです。仁の実践から外れてしまっては、何が君子ですか。その言葉を口にするのも痴(おこ)がましいことです。

 仁とは人を大切に思い遣る愛の道理です。そのことの大切さ、そしてその実践の難しさ。常に実践できていなければならない、その実践の具体的方法、そして実践す可きときに正しく実践できていたか否かの振り返り。君子であるためにはこのようなことを四六時中考えていなければなりません。片時(かたとき)も仁から離れてはいけないのです。

 飯を食う間、というような短い時間も、仁から離れてはいけません。いやそれどころか、慌(あわ)ただしく用事をしているような極(ごく)短い時間でも仁を忘れてはなりません。いやいやもっともっと、石に躓(つまづ)いて転ぶ瞬間という最小の時間でも仁を忘れてはなりませんぞ・・・。はっはっは(笑)これは冗談ですけどね。転んだときには精一杯怪我をしないように、怪我が軽くて済むように、ということに全神経を集中して上手に転んで下さい。しかし半分は本気ですよ。それくらいの思いで仁の実践に心掛けて欲しいという私の気持ちですね。

 

☆ 補足の独言

 時々顔を出す孔子の茶目っ気には、心和(なご)まされますね。しかしどうも真面目一筋に生きてこられた古今東西の学者さん達には、冗談や親愛の情からのからかい、といったようなことが苦手な人が多いようです。四六時中、危機存亡の最中(さなか)でも、瞬時たりとも仁から離れるな、等(など)冗談に決まっているでしょう、と思うのですが。

 しかし心理学的に見ますと、冗談の裏には本気の思いが潜(ひそ)んでいます。何事も中庸(ちゅうよう)が大事で、極端に走ってはいけませんが、何時(いつ)如何なる時でも自然体で仁が実践できている、という心の状態になって欲しい、というのが弟子達に対する孔子の深い思いなのでしょうね。その様な愛情が温かく滲み出ていて、孔子学園の気風校風が伝わってくるように感じられます。