5 公冶長第五 11

Last-modified: Wed, 02 Mar 2022 12:47:27 JST (793d)
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☆ 公冶長第五 十一章

 

 子曰 吾未見剛者 或對曰 申棖 子曰 棖也慾 焉得剛

 

 子曰く、吾(われ)未(いま)だ剛者(がうしゃ)を見ず。或(ある)ひと対(こた)へて曰く、申棖(しんたう)あり。子曰く、棖(たう)や慾(よく)あり。焉(いずく)んぞ剛を得ん。

 

☆ 意訳 (心理屋の勝手解釈)

 先生は七十四歳でお亡くなりになられましたが、その前年に一番親密であった弟子の子路(しろ)が衛国(えいこく)にて非業の死を遂げました。その二年前には顔回(がんかい)を亡くして、身も世もないほどに乱れ、悲しまれました。そして子路を亡くしたときには、傍目(はため)には何時(いつ)もの先生らしく、気丈(きじょう)に冷静に対処しておられました。然し先生の気持ちは全くそうではなかったようです。何をしていても何を見ても、子路のことが頭から離れない。辛(つら)くて無念でならぬ、というご様子でした。そんな或る日、突然先生はこんなことを、独り言のように言われました。

 私はあれ以来、未(いま)だ曽(かつ)て「剛(ごう)」という言葉に相応(ふさわ)しい者を見たことがないなあ。

 「嗚呼、由(ゆう)ちゃん(子路)はもういない。あんなにも純真に、他者の思惑(しわく)をも恐れず信念を貫き通せた者は・・・もういない。」という感慨が思わず知らず口から漏(も)れ出たものです。が、その言葉を聞いた者は、そのような先生の心の内など思いも寄らないものですから、首を傾(かし)げて先生に尋(き)きました。

 内の学園には申棖(しんとう)という名前の豪傑がおりますが、彼などは如何(どう)なのでしょうか。

 子路の思い出に浸(ひた)っていた先生は、ちょっと吃驚(びっくり)して我に返り、その人に言われました。

 あゝ棖(とう)ちゃんね。うむ。彼には欲があります。剛は、腕っ節(ぷし)の強さをいうのではありません。正義を貫き通す精神力の強さを言うのです。欲は自分の利益の為のものです。欲は損得勘定で動きます。義は天の摂理です。天の摂理に沿わないものは決して認めない。飽くまでも義を貫き通すことができて、初めて剛の者と言えるのです。欲があれば必ずや義に添えない事態が生じます。それは心が弱い、ということであって、そのようなことで如何して剛の者であることができましょうぞ。

 先生は心に深く子路の姿を噛み締めながら、このように言われました。

 

☆ 補足の独言

 孔子にとって顔回は、「自分(孔子)に課せられた天命を受け継いで成就す可し」という天命を課せられた者である、という確信があったと思われます。だから顔回が自分より優れていて当然だし(公冶長第五、九章)、現実がどんなに巧くいかなくても、顔回が着実に成長してくれている姿を看ることによって、孰(いづ)れ必ずや天命成就(じょうじゅ)の日が来る、と確信できていたのでしょう。顔回に先立たれたときに、それ迄確信していた天の意図に対する理解が間違っていた、と気付かされた訳です。自分の拠(よ)って立つところが根底から崩壊してしまったのです。

 「噫(あゝ)、天予(われ)を喪(ほろ)ぼせり、天予を喪ぼせり」(先進第十一、)

 五十歳で天命を理解したときには、天命は与えられた自分独りで果たすもの、と信じて精進してきました。然し十年十五年と尽力し続けた苦難の歩みの中で、この天命の成就は「己(おのれ)独りにて成るものに非ず。而(しか)して顔回の在り」という思いに変わってきたのでしょう。そう確信することで、我が天命に対する理解の正しさを維持することができていたのです。さすれば我が亡き後(あと)、必ずや顔回が成就してくれる。その筈であったのに、その顔回に先立たれてしまった。孔子はこれに因って、天命理解の道を絶たれてしまったようです。自分の存在基盤を喪(うしな)ったのです。その絶望の叫びが「天予を喪ぼせり」という言葉になったのでしょう。

 孔子は、人知の及ばぬ天意の奥深さというものに深く深く、限りなく深く沈潜せざるを得なかったでしょう。現実の総てを受け容れて、地道に努力し続ける以外は何もない。天意は解らなくとも必ずある。それは疑えない。これが孔子の到達した悟りの境地と言っていいのかも知れません。そのような中で、今度は最も孔子の身に親(ちか)しい子路の死が、それも非業の死が訪れたのです。顔回の死に因って天命が個人の願いや理解を遙かに超えたものだと痛感していますから、その時は冷静な対処ができています。然しその分、発散し切れなかった悲しみを、如何(どう)仕様もなく懐(いだ)き続けざるを得なかったのでしょう。

 孔子の哲学大系は、「仁」の上に成り立っている、と言えると思います。前にも言ったように、仁とは思い遣りのことです。孔子の性格の根本に存する温かさ。それが仁の哲学大系を作り上げることになったのでしょう。詰まり、出発点は孔子自身の愛なのです。その孔子の愛を一寸(ちょっと)見てみたいと思います。

 子路への愛は、顔回への愛とは質の違うもののようですが、親(した)しい対人関係という視点から見ると、子路への愛が一番大きいのかな、という感じがします。愛には、総てを平等に愛する「普遍的な愛」と、身近な人をより大きく愛する依怙贔屓(えこひいき)な「偏愛(へんあい)」とがあります。世の中、小人ほど偏愛が強く、君子になるほどに普遍的愛が大きくなる、という誤解が蔓延(まんえん)しているように思われます。然し、愛の基本は偏愛です。子供は自分の親から自分だけを特別に可愛がってもらって初めて、明るく元気に思い遣りが育っていくのです。

 立派な人格者や宗教家と言われる人というのは得てして普遍的愛に満ち溢れたひとです。それなのにその人の子供がぐれて問題を起こす、という話はよく聞きます。それは若しかしたら、その聖者には偏愛が欠けていたのかな、と思ったりもします。釈迦も孔子も基督(キリスト)も、皆大きな偏愛を持っています。大切な弟子達に特別な愛情を注いでいます。唯、君子の君子たる所以(ゆえん)は、その依怙贔屓な偏愛によって、他の人々に対する普遍的愛が妨げられていない、ということです。

 子路や顔回を特別に深く愛せるような孔子だからこそ、普遍的愛の実践である「道(みち)」を最後まで求め続けることができたのではないでしょうか。